« 何となく | トップページ | 飛蚊症 世界が輝いて見える »

2019年4月29日 (月)

連絡船のうどん

 世間様は十連休とかで、いやー大変ですね、収入激減でしょうね。ウチは、2.3.4日と三連休で、日曜日から通常勤務です。

 さて、これは私が二十代の頃の話しですから、もう大昔の事です。当時私は東京の新小岩という所にある、トイレ、洗面所共有の小さな小さなアパートの二階に住んでいました。 で、このアパートは入り口が建物の裏にあって、入るのが面倒なので来訪者はみんな通りに面した窓の下から大声で叫んで在宅を確認していました。悪友の中にはこんな奴もいて、
「おーい居るかー! 駅前にノーパン喫茶(懐かしい)出来たから行くぞー!」
 そんな事、大声で叫ぶなよ。行かなくても行ったと思われるじゃないかよ!

 その日もアパートの下から「おーい、居るかー」という声が聞こえてきて窓を開けると、滅多に顔を出さないすぐ上の兄が手に鞄を持ってアパートの下に立っていました 。
「オイ大変だぞ。●●が死んだんや、今から一緒に四国へ行くから早く支度しろ」
 一瞬で頭が真っ白になりました。
 ●●というのは四国の香川県にいる甥っ子で、まだ保育園に通っている歳です。そんな、何故、どうして? 「明日が葬儀なので今日中に四国へ行くから、なるべく急いでな」兄の声を聞きながら、ロッカーを開き礼服を探しますが見当たりません。礼服は眼の前にさがっていたのですがそれも目に入らないほど慌てていました。

 当時はまだ瀬戸大橋が無く、東京から香川に行くには、新幹線で岡山まで行って、そこからJRで宇野へ。そして宇高連絡線で香川の高松へ行きます。
 東京を出た時間が遅かったけど、何とか連絡船の最終便に間に合いました。二人して船室の椅子の座り、窓の外に見える瀬戸内の暗い海を黙って見ていました。

 悲しい別れと新たな出会いがあり、頭が空っぽのまま東京に戻って来ました。

 三ヶ月後、初盆で再び四国へ。
 前回同様に宇野から連絡船に乗ったら、乗客の人たちが一斉に、船室ではなく甲板に向かって走り出します。
 え? 何だコレは上に何か有るのか? 兄と二人でその後についていくと、甲板にある売店に長蛇の列。
 その人たちの目当ては売店のうどんです。
 そうか、香川と言えば讃岐うどん! 今更ながら気づき、列の後ろに並んでうどんを買いました。
 前回と違い今回は昼なので、眼が覚めるような美しい瀬戸内の景色を眺めながら食べたうどんが、これがもう美味い!

宇高連絡船うどん YouTube
https://youtu.be/zWgRuScaRoQ

「あがいなモンが、うどんであるかィ」「あれを讃岐うどんやて思うてほしゅうないわ」
 その事を香川の親戚に話すと、ボロクソに言われました。
 でも、あの時のあのうどんは美味かったんだよなー。
 私にとってはあれが最高の讃岐うどんです。って言ったら、また怒れれるけど。

 あ、実はうどん以外に感動したことがもう一つ。
 東京へ帰る前に、亡くなった甥っ子の祖父が操る小さな漁船に乗って、漁の手伝いをしました。と言っても、蛸壺を引き上げに行くだけでしたが、唐津で育ったので、海も船も大好きなのです。
 蛸壺を仕掛けてある所に向かう船から何気なく海面を見ていると、海中から白いものがどんどん浮上してきて、いきなり何かが船の横に姿を現しました。
 大きい! いや、私の身長くらいだから巨大ではないけれど、でも自然環境の中でこのサイズの生き物を見たのは初めてです。
 驚いている私を見て、心配した甥っ子の祖父が声を掛けてくれました。
「あー、メリや。こいつは悪させん。おとなしいから大丈夫や」
 違うのです、怖いのではなくて「チコと鮫」や「わんぱくフリッパー」を見て育ったから、本物のスナメリを見て感激したのです。
 しかし、浮上してパシュ! と息を吐いたスナメリは、しばらく並走して再び海中へ。
 もう一度見たいと思ったけれど、海面にはもう二度と姿を現しませんでした。
 瀬戸内海ってすごい! すごい! すごい! と、蛸壺を引き上げた後もずっと感動していました。

|

« 何となく | トップページ | 飛蚊症 世界が輝いて見える »

思い出」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 何となく | トップページ | 飛蚊症 世界が輝いて見える »