思い出

2019年8月 6日 (火)

蝶が眠る場所(ところ)

 もう一度見たいけど、多分もう二度と見ることは出来ないだろう、という景色があります。
 プロフィールにも書いていますが、私は佐賀県の唐津出身で、15歳までそこで暮らしていました。
 当時の唐津は人口約七万人で、都会でもなく、ど田舎でもなく、でも洒落た街のすぐ近くに綺麗な海と山が有って、私にとっては素晴らしい環境でした。ダイビングをやる方はジャック・マイヨール関連でご存知かもしれませんね。

 さてさて、その二度と見られない景色です。
 夏休みの夜になると、近所の泉へ蛍を観に行きました。その当時は、蛍は時々家の中に迷い込んで来たりして、珍しい生き物ではありませんでしたが、家の天井で光っている蛍を観るよりは、何匹もの(昆虫は1頭、2頭と数えるのが本当ですけど、ここは敢えて匹と)蛍が夜空に舞っているのを観るほうが良いのは当たり前ですよね。しかし、二度と見られないと思うのは蛍ではないのです。家の中に迷い込んで来る蛍は、確かにもう二度とは見られないかも知れませんが、でも蛍とは違います。
 文才がないので、見たことがない人に、文章で上手く伝えられないのが悔しいのですが、頑張って書いてみます。

 家から、蛍が舞う泉へは某有名総合病院が建っている高台の下をぐるっと回り込むようにして流れている小川に沿って行きます。裏山の麓にあるその小川の源流が、冷たくて綺麗な水を湛えた小さな泉なのです。高台の斜面には一面に茅が自生していています。夕暮れ時、泉へ向かうためにその斜面の下の道を通ると、一面の茅原が花が咲いた様に白くなっています。
 しかし、白く見えるのは花ではなく蝶なのです。
 見える範囲内でも数百匹、茅原全体ではおそらくもっと沢山の蝶達が、茅に止まって眠っているのです。
 こんなに沢山の蝶が一体何処から集まってくるのかと不思議に思いながらその脇を通ると、人の気配で眠りを覚ました数匹の蝶が慌ててパタパタと舞い上がり、直ぐにフワッと元の茅に戻ると、ゆっくりと羽ばたきをしてまた眠ります。そっと蝶に触ると、同じように舞い上がっては直ぐに元に戻り眠り続けます。
 淡い月の光を浴びて眠っている沢山の蝶の羽で茅原はゆっくりと揺れて見えます。
 それは、束の間幻想の世界に誘ってくれる不思議な場所(ところ)でした。

 しかし、東京に出て来て、この事を数人の人に話しましたが、誰も信じてくれません。
「蝶の寝床の話は信じても良い。だけどその蝶が、近づいても触っても逃げないのは絶対にあり得ない」
 と、その誰もが言います。
 でも、逃げないんですよ。あの頃は、眠っている蝶を捕まえようとする者など周囲には一人も居ませんでしたから、蝶達は皆、何の危害も加えられる事は無いと知っているかのように、安心して眠っていたのです。ホントは唯眠かっただけなのかも知れませんが。

 今でも何処かにそんな場所が有るのかも知れませんが、ネットで検索しても、沢山の蝶が眠っている場所や写真は見つかりませんでした。もし有るとしたら、そこは誰にも教えられない秘密の場所なのかも知れませんね。だから、あの景色はもう二度とは見られないと思います。

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2019年4月29日 (月)

連絡船のうどん

 世間様は十連休とかで、いやー大変ですね、収入激減でしょうね。ウチは、2.3.4日と三連休で、日曜日から通常勤務です。

 さて、これは私が二十代の頃の話しですから、もう大昔の事です。当時私は東京の新小岩という所にある、トイレ、洗面所共有の小さな小さなアパートの二階に住んでいました。 で、このアパートは入り口が建物の裏にあって、入るのが面倒なので来訪者はみんな通りに面した窓の下から大声で叫んで在宅を確認していました。悪友の中にはこんな奴もいて、
「おーい居るかー! 駅前にノーパン喫茶(懐かしい)出来たから行くぞー!」
 そんな事、大声で叫ぶなよ。行かなくても行ったと思われるじゃないかよ!

 その日もアパートの下から「おーい、居るかー」という声が聞こえてきて窓を開けると、滅多に顔を出さないすぐ上の兄が手に鞄を持ってアパートの下に立っていました 。
「オイ大変だぞ。●●が死んだんや、今から一緒に四国へ行くから早く支度しろ」
 一瞬で頭が真っ白になりました。
 ●●というのは四国の香川県にいる甥っ子で、まだ保育園に通っている歳です。そんな、何故、どうして? 「明日が葬儀なので今日中に四国へ行くから、なるべく急いでな」兄の声を聞きながら、ロッカーを開き礼服を探しますが見当たりません。礼服は眼の前にさがっていたのですがそれも目に入らないほど慌てていました。

 当時はまだ瀬戸大橋が無く、東京から香川に行くには、新幹線で岡山まで行って、そこからJRで宇野へ。そして宇高連絡線で香川の高松へ行きます。
 東京を出た時間が遅かったけど、何とか連絡船の最終便に間に合いました。二人して船室の椅子の座り、窓の外に見える瀬戸内の暗い海を黙って見ていました。

 悲しい別れと新たな出会いがあり、頭が空っぽのまま東京に戻って来ました。

 三ヶ月後、初盆で再び四国へ。
 前回同様に宇野から連絡船に乗ったら、乗客の人たちが一斉に、船室ではなく甲板に向かって走り出します。
 え? 何だコレは上に何か有るのか? 兄と二人でその後についていくと、甲板にある売店に長蛇の列。
 その人たちの目当ては売店のうどんです。
 そうか、香川と言えば讃岐うどん! 今更ながら気づき、列の後ろに並んでうどんを買いました。
 前回と違い今回は昼なので、眼が覚めるような美しい瀬戸内の景色を眺めながら食べたうどんが、これがもう美味い!

宇高連絡船うどん YouTube
https://youtu.be/zWgRuScaRoQ

「あがいなモンが、うどんであるかィ」「あれを讃岐うどんやて思うてほしゅうないわ」
 その事を香川の親戚に話すと、ボロクソに言われました。
 でも、あの時のあのうどんは美味かったんだよなー。
 私にとってはあれが最高の讃岐うどんです。って言ったら、また怒れれるけど。

 あ、実はうどん以外に感動したことがもう一つ。
 東京へ帰る前に、亡くなった甥っ子の祖父が操る小さな漁船に乗って、漁の手伝いをしました。と言っても、蛸壺を引き上げに行くだけでしたが、唐津で育ったので、海も船も大好きなのです。
 蛸壺を仕掛けてある所に向かう船から何気なく海面を見ていると、海中から白いものがどんどん浮上してきて、いきなり何かが船の横に姿を現しました。
 大きい! いや、私の身長くらいだから巨大ではないけれど、でも自然環境の中でこのサイズの生き物を見たのは初めてです。
 驚いている私を見て、心配した甥っ子の祖父が声を掛けてくれました。
「あー、メリや。こいつは悪させん。おとなしいから大丈夫や」
 違うのです、怖いのではなくて「チコと鮫」や「わんぱくフリッパー」を見て育ったから、本物のスナメリを見て感激したのです。
 しかし、浮上してパシュ! と息を吐いたスナメリは、しばらく並走して再び海中へ。
 もう一度見たいと思ったけれど、海面にはもう二度と姿を現しませんでした。
 瀬戸内海ってすごい! すごい! すごい! と、蛸壺を引き上げた後もずっと感動していました。

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2014年12月28日 (日)

燃える水平線

 大昔にNHKで放送されたラジオドラマです。パプアニューギニア辺りが舞台で、恐竜が出てきたり、海底トンネルでつながった島が動いたりと毎回放送を楽しみにしていました。橋本 力さんの音楽は今でも頭に残っています。
 実は、「橘 外男 作」というナレーションを覚えていたので、このドラマの作者は橘 外男さんだと勘違いしていました。調べたら石川 透さんでした。検索しても出ないわけです。
 もう一つ記憶にある「緑のコタン」は中山 恒さんが脚本。一緒に聴いていたオヤジがトランネの悪役ぶりに真剣に腹を立てていたのも懐かしい思い出です。

 コチラのサイト様に紹介記事があります。
幼年期の初め頃 又は注釈の多い独言→ラジオドラマ→燃える水平線

 さて、では橘 外男が原作のNHKラジオドラマって何だったのだろう?

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2007年12月28日 (金)

期末テストのXmasプレゼント

 ※この記事はクリスマス用に書いていたのですがウッカリ掲載を忘れ、時期外れになってしまいました。時代は昭和40年代、期末テストが終われば中学生最後の冬休みです。相変わらずの過去譚で恐縮ですm(_ _)m

 期末テスト最終日の朝は、鉛色の暗い空だった。この日も、親友の大竹が迎えに来て何時もの様に二人で登校した。
 途中で、早朝からジングルベルを賑やかに流しながら走る洋品店のムサシ屋の宣伝カーと擦れ違う。
 そうか、もうすぐクリスマスだ。

「ムサシ屋の赤パンツ♪安くて薄くてよく伸びる~♪ヘイ! ジングルベ〜ル♪」
 ジングルベルの曲に合わせて、この土地では知らぬ者が居ない替え歌を歌っていた大竹が突然立ち止まった。
「ムサシ屋はクリスマスっちゃあ毎年毎年馬鹿ン一つ覚えでジングルベルしか流さんばってん、社長は他の曲ば知らっさんとやろか。お前何か違う曲ば教えてやらんね」
「そやん言われたっちゃ、オレも【赤鼻のトナカイ】と【聖しこの夜】くらいしか思い浮かばん」
「なんね、そんならオレでちゃ知っとるばい。そぎゃんじゃなくて誰ぃも知らんヨカ曲たい」
「誰ぃも知らんもんはオレでちゃ知らんて。そやんかこつはよかけん、急ごうて、予習始るばい」
「おお、そうたいね。予習に遅れたら、副委員長にがらるっけんね」

標準語訳
「ムサシ屋はクリスマスっちゃあ毎年馬鹿の一つ覚えでジングルベルしか流さんけど、シャチョーは他の曲は知らんのだろうか。お前何か違う曲を教えてやれよ、シャチョーに」
「そんな事言われても、オレだって「赤鼻のトナカイ」と「聖しこの夜」くらいしか思い浮かばねえよ」
「何だよ、そんならオレだって知ってるよ。じゃなくって、誰も知らねーメッチャいい曲だよ」
「誰も知らないモノをオレが知ってる訳ねーだろうが。ンなことはいいから、早く行こうぜ予習が始まるぞ」
「お、そうだな。予習に遅れたら副委員長にどやされるからな」

 いつもは二人ともテスト勉強とは全く無縁だった。が、今回は特別の訳があった。

 オレ達のクラス担任は五十嵐という英語が担当の三十歳男で、まだ独身。だが、結婚相手が居ないわけではない。
 女子が言うには「同性としてチョット憧れる」
 男子から見ると「美女と野獣の取り合わせ」
 の国語担当の石田先生と長期恋愛中なのは校内では公然の秘密だった。本当は二人は5年前に結婚する筈だったが、五十嵐のご両親が相次いで亡くなったり、石田先生のお母さんが大病を患い入院したりして、中々結婚する事が出来なかったらしい。
 他クラスの口の悪い連中が、五十嵐がインポだから石田は結婚しないんだとか、石田は五十嵐を捨てて、とっくに別の男と付き合っているらしい、とか真しやかに口にするのを聞く度にクラスの誰もが躍起になって否定していた。なぜならクラスの皆、質実剛健を絵に描いたような五十嵐が大好きだったからだ。
 その二人が、やっと結婚することになった。
 ホームルームの後で五十嵐は、これまで噂でしか聞いたことがなかった石田先生との事をオレ達にちゃんと話してくれた。だから結婚式の日取りを聞いた時、女子の中には涙ぐんでいる者も居た。
 その日、久しぶりに放課後会が開かれた。

 新学年になって直ぐの頃。クラスのA君が他のクラスの生徒にカツあげされているらしいと噂になった時、本名は小隈だがクラスで一番身体が大きいので大熊と渾名されている学級委員長の呼びかけで放課後に全員が集まり、A君から話しを訊いた。最初は中々認めなかったが、それが事実だと判ると、直ぐにカツあげした他クラスの生徒を教室に呼んで直談判し二度とやらせない事にした。こんな事が出来たのは、この地域では番長格の室田が同じクラスに居たからだろう。それ以来、何か問題事があった時は放課後にクラスの全員が集まり、それを放課後会と称して話し合いで決めていた。

 しかし、今回の放課後会は問題事ではなく、クラスで何か結婚祝いをあげてはどうか? という話し合いだ。
 当然、全員一致で賛成。
 だが、それを何にするかで男子と女子の意見は真っ二つに分かれた。
 男子は、「五十嵐はコーヒー好きなので、皆で少しずつお金を出し合ってペアのコーヒーカップを買い、それに寄せ書きを添えて渡す」という大熊の意見に、全員が賛成した。
 それに対し女子は、様々な苦難を乗り越え、ようやく結ばれた二人に、軽々しくお金で買ったモノをあげるなんて絶対にダメだと言い張った。女子にとって二人はメロドラマの主人公に見えているらしい。だから、簡単に手に入るモノではなく自分たちで努力して手に入れたモノをあげたいと言う。
 お金を出したくないから、そんな事を言うのだろうと男子が揶揄し、努力して手に入るモノって何だ? と女子に聞いても、先生が本当に喜んでくれるモノというだけで具体的な答えが出ない。
 その時、それまで話しに加わらず離れて座っていた室田がポツンと言った。
「生徒ん成績が上がったら先生は喜ぶだろうな」
 今はそんな話しをしているのではないと皆がブーイングをあげる中、
「それよ!」と副学級委員長の井上さつきが声を上げる。
 自慢じゃないが、我がクラスの試験成績はいつも、10クラスある学年中で下位を維持していた。
「だから学期末試験でトップを取り、それをお祝いとしてあげる」
 井上はとんでも無い事を言い出した。
 うちのクラスが学年トップを取るなんて、クラス全員が死ぬほど努力しても不可能だろう。
「だからやるのよ! だから意味があるのよ!」
 お金を出して買ったもの渡したら、多分五十嵐は、君達は子供なんだから余計な気を使わなくていいんだよと言うだろうが、これなら喜んで受け取ってくれるだろう。井上の言葉に女子の目がキラキラと輝いている。
 まさかと思った男子も井上の話を聞いている内に段々目が輝きだし、あれよあれよという間に、期末試験で学年トップの成績を取る事がお祝いと決まってしまった。
 世の中には、どうあがいても止められない流れと言うものがあって、戦争が始まる時もきっとこんな感じなんだろうなと、その時黒板を見ながらぼんやりと思った。
「よし、そうと決まったら計画を立てるぞ。特に二人の担当科目の英語と国語は全員満点を目指す!」
 大熊までもが、己の意見は無かった事にして無茶苦茶な事を言い出した。
 早速、クラス全員を成績順にグループ分けし、得意科目を持つ者がそれを不得意とする者に教える方法で、休憩時間や放課後に勉強会を開く事になった。試験が終わるまでクラブ活動も休みだったので、時間は充分に有った。
 始める前は嫌だったが、始めてみると肩を寄せるようにして隣りに座った憧れの人に数学を優しく教えて貰い、数式を見ながら「だから、ここはね」と言われた時の頬にかかる息にドキドキして、実はすごく楽しかった。勉強が楽しいと思ったのはこの時だけだった。

 その期末テストも今日で終わる。最終科目は国語だ。全員の顔に緊張感が漂っている。
 始業ベルが鳴る前に
「よっしゃ、最後やけん気合いば入れていくぞ!」
 大熊が声を掛けた。
 皆無言で頷き、それに応える。全科目高得点は到底無理だが、この科目と英語だけは絶対に高得点を取るとクラス全員で誓った。
  緊張感が更に高まり、教室内は水を打った様に静まりかえった。

 だが、教室に入ってきたのは担任の五十嵐だった。試験の時に担任が自分の教室を見る事など今まで一度もなかった。
「なんで?」「どうして?」
 教室内が俄に騒ついた。
 騒ついた理由はもう一つあった。五十嵐は試験問題と一緒にスーツケースの様なモノを重そうに提げてた。
「あれは何?」
 井上さつきが隣の席から訊いてきた。

Sony01   Sony02

 五十嵐が提げていたのは、ソニーのTC-777
 通称スリーセブンと称ばれたオープンリールのテープレコーダーだ。
 この学校には過ぎたる備品だが、価値を知らない馬鹿どもが体育祭や文化祭で乱暴に扱うので、アルミダイキャストのカバーは傷だらけになっていた。五十嵐はそれを教員机の上に、いやー重かったと言いながら置いた。
「それ、試験に使うんですか?」
 誰かが訊いた。
 五十嵐はニヤリと笑う。
「いや。これは……まあ、後のお楽しみだ」
 始業ベルが鳴る。
「さあ問題を配れ」
 五十嵐の声で、最後のテストが始まった。 

 いつもなら最後の最後まで粘って答案を書き、それでも未だ書き終わらない者が半数以上居るのに、正解しているかは別にして、今回の期末テストではどの科目も全員が終了時間前に答案を記入し終えてた。最後の国語も終了までに15分を残して全員が書き終えた。回答欄に未記入は無い。
「ほう、驚いたな。もう全員書き終わったのか」
 言葉とは裏腹に五十嵐は驚いた樣子もなく嬉しそうに笑った。
「頑張った甲斐はあったという事だな」

 頑張った理由を知っている口振りだった。自分たちは秘密裏に勉強会をやっているつもりだったのだが、考えてみれば校内でやっているのだから教師に知れない訳がない。ひょっとしたら勉強している理由も、知っていたのかも知れない。

 答案用紙の回収も終わり、ホッとした雰囲気が漂う中、早速答え合わせを始める者もいたが、他の者は皆、テープが入った赤い箱から取り出したリールをテープレコーダーにセットし始めた五十嵐を、興味深げに見ていた。
 セットが終わると、五十嵐はゆっくりと全員の顔を見渡した。
「早く終わったから、時間まで寝ててもいいんだが……」
 聞いた途端、室田が机に顔を伏せたので五十嵐は、正直でよろしいと苦笑いした後で改まった顔をしてこう言った。

「よかったら、これを聴いてくれないか。これはね、ご褒美代わりと言っちゃ何だが、頑張った君達への、少し早い私からのクリスマスプレゼントだ」

 やはり知っていたのだ。みんな胸が一杯になって、テープレコーダーを見た。一体どんなメッセージが録音されているのだろうか? 五十嵐が再生ボタンを押す。

 全く予期しなかった事に、テープレコーダーから流れてきたのは音楽、それもポピュラー音楽だった。
 当時は、音楽はテレビやラジオかレコードで聴くものだと誰しもが思っていたし、教師が教室で、しかも試験時間中に生徒にポピュラー音楽を聴かせるなんて思いもしなかったので、みんな驚いてヒソヒソと囁き合った。
 だが、少し鼻にかかった甘い男性ボーカルが始まると、そんな事は忘れて歌声に聴き入った。
 室田も顔を上げている。
 初めて聞く曲に心を奪われた。

 曲が流れる中、英語が担当の五十嵐は黒板にこう書いた。

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2006年4月21日 (金)

優しい幽霊4

 心は空っぽになってしまったのに、どうしてこんなに重いのだろう。
 
 薄暗くなった夜道を帰る途中ずっと自分の馬鹿さ加減を笑いました。
 どんなに強く思っていても、その思いが届かなければ、無かった事と同じだ。
 いや、そうではない。叶わなかったけれど、思いだけは心に残っている。
 だから空っぽになったと思っている心がこんなに重いのだ。

 途中で寄ったいつもの酒屋でオバチャンに「今日は元気がないね」と言われ、それに何と返事をしたのか覚えていません。買ったビールがやけに重く感じました。

 会社に帰り着いた時には、もう真っ暗になっていました。
 ビールを飲んで、思い切り酔って、そのまま寝てしまおう。だけど、悪い酒になって眠れないかも知れない。
 そんな重い心を引きずりながら事務所脇の暗がりを抜けて女子寮前の中庭まで来た時、思わず足が止まりました。

 部屋に……明かりがついている。

 電灯のスイッチを切って部屋を出たのにどうして明かりが。
 今まで明かりが消える事はあっても、明かりが点く事は一度もなかったので、驚くと同時に不思議な感じがしました。
 
 暗い工場の中で、ただそこだけに灯っている明かりは眩しいほどに明るく、まるで誰かがそこで私の帰りを待ってくれているように見えました。

 部屋の明かりをこんなに温かく感じたことはありません。
 
 思わず言葉が出ました。

 ありがとう。


 この時だけは幽霊を信じました。

 この部屋には優しい幽霊がいると。

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2006年4月16日 (日)

優しい幽霊2

 振り返った私の眼に入ったのは、入り口立つ見知らぬ爺サンとオッサンでした。

 この人たちは誰? 疑問を口にする前に、爺さんが先に口を開きました。
「あんた誰? ここで何してるの?」
 何してるって、脅かされるのを待っていると言っても分かってくれないだろうし、それに爺サン達が誰なのかこっちが訊きたい。

 話しを聞くと爺サンはここの大家さん、つまりはこの紡績工場の持ち主でした。
 たまたま近所に用事があって車で前を通ったら、誰も居ないはずの女子寮に明かりが点いているので不審に思い見に来たが、1人では不安なので一旦家に戻って、寝ていた息子さんを起こして一緒に来たのだと言います。息子だというオッサンは、寝ていた所をたたき起こされ、もの凄く不機嫌な顔をしていました。そう言えば、そろそろ日付が替わる時刻です。

 何も知らない大家さんに、ココに泊まっている事情を説明すると、
「それにしてもまさかこんな所に寝泊まりする社員の方がいるなんて思いもせなんだですねえ。いやあ、ビックリした」
 言葉は丁寧でしたが、呆れている事は明白でした。
 その証拠に、大家さんは帰るまで「いやあ、こんな所で寝るなんて」と、独り言のように何度も言い続けていました。
 で、わざわざ見に来て貰い迷惑を掛けた事を詫びて2人を門まで送り、女子寮の前まで戻ってくると、

 また部屋の明かりが消えている……。

 そればかりでなく、さっき降りてくる時に点けた外階段の非常灯も消え、女子寮は真っ暗になっています。
 さすがにこの時はゾッとしました。

 

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2006年4月 2日 (日)

優しい幽霊1

 今から20年ほど前の事です。

 ある事情でそれまで勤めていた会社を辞め、東京に住む兄の仕事を手伝うことになりました。勤めていた会社の社長は三十歳になったばかり、社員も十代後半から二十代の前半の若い連中で、楽しい雰囲気の会社でした。その主業務は服地の販売でしたが、それとは別に三軒の中華料理店を経営していて、私は大手スーパーにテナントとして入っていた店舗を任されていました。

 住んでいたアパートの契約は会社を辞める二週間前で終了するので、再契約するのも馬鹿らしいから、社長の進言で取り敢えずはアパートを引き払って会社に寝泊まりし、そこから店に通う事にしました。
 会社は、拡張した服地販売部門の業績が急激に伸びて社員も増えたので、今まで借りていた倉庫兼作業場が手狭になり、私が通うスーパーの近くにある、閉鎖した大きな紡績工場跡を借りて倉庫代わりにしていました。個人経営の工場ですが広い敷地には工場の他に事務所と女子寮があって、東京に行くまではその女子寮で寝泊まりする事になったのです。

 今にも崩れそうな古い木造2階建ての女子寮は、事務所裏の広い中庭の奥に建っていました。
 全部で20ある部屋は長らく無人だったのでどの部屋も荒れ放題。特に1階は天井が落ちそうで、とても人が住める状態ではありませんでした。2階に上がると日当たりがよい所為か1階ほど荒れてはいないので、事務所に近い西側の部屋にラジカセとバッグ1つだけの荷物を置いて、そこを使う事にしました。
 天井に設置された照明器具から蛍光管が全部取り外してあったので、Sさんが事務所に一本だけあった予備の蛍光管を取り付けてくれました。部屋の広さは12畳ほどだったので蛍光管一つでは隅の方が微昏いのですが、夜になったら寝るだけなので是で充分です。

 その日の夜、服地の仕事をしている先輩社員のMさんや後輩社員のK、Uら数人が部屋へビールと乾き物を持参してくれ、引越祝いと称して飲み会を始めました。
 クーラーなど付いていないので窓を全部開け放ち、窓際には蚊が入ってこないように蚊取り線香を沢山並べてあります。
「いやー、こんな所に1人でよく寝れますね。感心しちゃいますよ、怖くないですか?」と、後輩のK。
「何で?」
「夜になると何か出そうじゃないですか」
「何かって幽霊? ンなモン居ないって」
「幽霊じゃなくて泥棒とかだったらもっと怖いッスよね」と、これは後輩のU。
「盗られるモノ何もないもん」
「だけどウチの会社、見事に女っ気ないッスから、可愛い女の子の幽霊だったら出てきてお酌して貰いたいッスね。ここ女子寮だから」
「いやいや、昔の女子寮だからな、出たとしても今はもうバアさんだろう」と、M先輩。
「それだけは勘弁して欲しいッスねー」
「いや、幽霊は歳取らないから若くて綺麗でしょう」
「そう言えば、綺麗な幽霊って話はよく聞くけど、ブスな幽霊って聞いたことないよな」
「ブスな幽霊が出てきたら、怖くなる前に笑っちゃいますよね」
「だから、幽霊なんて居ないって言ってるだろう」

 この後に起こることをまだ知らない時だったので、そんな冗談を言いながらワイワイガヤガヤと飲んでいました。

 飲み過ぎてウトウトとしている内に、いつしか社員達は1人2人と帰っていき、やがて気が付いたら部屋には私1人だけになっていました。
 服地の出荷時は沢山の社員が夜遅くまで仕事をしていて、誰かが工場にいるのですが、今日は広い敷地内にいるのは私だけです。

 寝る前に窓を閉めようと窓際に行き、何気なく下を見ると昏い中庭に誰か立っているのが見えました。
 あれ? まだ社員が残っていたのだろうか? と思いながら手を振ると人影は無言でこちらへやって来て、カンカンと外階段を登ってくる足音がしました。

 しかし、誰も部屋に入って来ません。

 あれ、どうしたんだろう?

 不思議に思い部屋のドアを開けると、昏い廊下には誰も居ません。
 何処へ行ったのだろうと外階段から下へ降りてみましたが、広い中庭にも人影らしきものは見あたりません。
 変だなと思い、戻ろうと振り返ってハッとしました。

 部屋の明かりが消えて真っ暗になっているのです。

 窓際に並べて置いた蚊取り線香の赤い小さな光だけが微かに見えるだけです。

 

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2006年3月28日 (火)

あいつ

 信号待ちをしている私の目の前を鮮やかなブルーのSUBARUインプレッサが駆け抜ける。
 車種は違うが、ブルーのSUBARUを見る度に私はいつも、あいつの事を思い出す。
 
 あいつは、最初に就職した会社の同期生五人の中で一番気が合う奴だった。
 あの頃は同じ社員寮に寝起きをし、週末になると同期生みんなで誰かの部屋へ酒を持ち寄り夜明けまで話しをしていた。
 寮に住んでいる社員の男女比は1対10。圧倒的に女子社員が多かったので、話題は当然の如く女と車だった。
 だが、まだ彼女が居ない私とあいつは皆の話について行けず、男の優しさとは何か、男らしく生きるとはどういう事か、そんな事を半ば当てつけ気味にヤケクソで話していた。
 車好きのあいつは、月末になるとレンタカーを借りて私達をドライブに誘った。あいつのお気に入りは、ブルーのSUBARUレオーネクーペ。
 夜中に突然思い立って、みんなで馬鹿話をしながら、あてもなく遠くまで走った。ただそれだけで楽しかった。

「最近、無断欠勤が多いのだが……」
 あいつの上司に呼ばれた。
「君は、仲が良いらしいから何か知っているのではないかね?」
「彼女が出来て変わったんです、あいつ」
 彼女とデートの日は翌朝まで帰らず、そのまま仕事にも行かない。
「あー、そう言う事か」
 その一言で上司は全てを納得した。
「私からも言っておくが、君からも注意してやってくれ。このままでは会社にいる事が出来なくなるからね」
 そんな事は言われるまでもない。私だけでなく同期生の誰もがこれまで何度も注意した。このままではダメになるぞと。しかし、彼女に夢中のあいつには何も聞こえていなかった。

 別れは突然に訪れた。
 久しぶりに私の部屋を訪ねてきたあいつが、私の名前で1日だけレンタカーを借りて欲しいと言った。
 何故自分で借りないのかと聞いたら、何度も事故を起こしたので貸してくれなくなったと言った。迷惑は掛けないから頼むと言ったが、果たしてどうだか。
 しかし、私はブルーのレオーネクーペ最上級モデルGSRを借りて約束の場所に持って行った。
 そこには、初めて見るあいつの彼女がいた。
 同じ社員だが、女子社員の数は約1000名。まだその半分以上は顔も見た事がない。

「スミマセン、ご迷惑をおかけします」
 彼女は私に向かって丁寧に頭を下げた。
 是までの経緯から、男好きのあばずれ女に違いないという私の想像は外れていた。あいつの彼女は小柄で、田舎から出てきたばかりの様に純朴そうに見えた。
「いえ、いいんです」
 会ったら嫌味の一つでも言ってやろうと思っていたのを忘れていた。

 あいつは、まるで壊れ物を扱うように優しく彼女を助手席に座らせると、そっとドアを閉めた。
「無理言って悪かったな、帰ったらこの埋め合わせはするから」
「しなくてもイイから、事故るなよ」
「すまん」


 だが、翌日になってもあいつは帰ってこなかった。

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