思い出

2009年4月29日 (水)

親父

「お父さんが大変なんだよ」

その言葉を聞いた瞬間に夢だと気付いて目を覚ました。
親父の夢をみるなんて久しぶりだ。
親父は私が小学校五年生の時に癌で亡くなった。

小雪がちらつくなかで親父が病院から家に運ばれてきた日は、今でも昨日の事のようにハッキリと覚えている。
家に戻った翌日はまだ意識もしっかりしていて、弱々しいながらも会話ができた。
せっかく話すことができるのに、何を話したらいいのか分からなかった。
電気釜や電気ごたつが新しくなったというどうでもいい話をした。今思えばもっと他に話すことが沢山あったのに。
朝から降っていた雨は夜になると土砂降りになり、親父は昏睡状態になった。
聞こえるのは激しい雨音と微かな親父の呼吸音だけ。
時々その呼吸が止まるようになった。そのたびに耳元でお父さん!と呼びかけた。親父はハッとしたようにまた呼吸をはじめる。
次第にその間隔が短くなる。
夜半すぎには雨音が小さくなり、とうとう親父は呼びかけても二度と呼吸をしなくなった。
雨は雪に変わり、朝になると外は白一色の世界になっていた。

そういえば、おふくろのことは思い出しても親父のことを思い出すことはない。
墓参りも何年もしていない。親不孝なことだ。
俺のことを忘れないでくれよと、年下になってしまった親父に言われた気がした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月16日 (水)

焼きそば屋けんちゃん(1)

※前ブログからの転載記事です。長い文章ですので駄文を読む忍耐とお時間がある時にどうぞ。予告編でラストを書いてしまったので、読まなくてもいいかなんて云わないでくださいね(笑)

 →予告編


 私が中学生の頃、近所に何をやっても長続きしない事で有名な貸店舗がありました。

Sample02

 元は吉田さんちのお婆ちゃんが近所の子供相手にやっていた駄菓子屋
 (ここへは一個五十銭の「雀の卵」という駄菓子をよく買いにいきました)
だったのですが高齢になったので家から通う事がきつくなり、閉店した後を貸店舗にしたのです。
 店の前は路線バスが走っている県道で、しかも某有名総合病院のバス停横という絶好の立地条件なのですが、5坪足らずの木造平屋の建物は今にも倒壊しそうなほど古く、壁はかろうじて元が青い色だったとわかる錆びたトタン板。屋根瓦も所々剥がれ落ち、葺き土が剥き出しになっていたので知らない人には廃屋に見え、まさか此処で誰かが商売をしているとは思えなかったのかもしれません。
 こんな家を貸す方も貸す方ですが、借りる方も、家賃が安いので取りあえず何かやってみるか程度の軽い気持ちで始めた人が殆どでしたから、やる気の無さが見え見えで流行らなくて当然でした。

続きを読む "焼きそば屋けんちゃん(1)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月10日 (木)

焼きそば屋けんちゃん(予告編)

 ※前ブログからの転載記事です。すでに読まれた方もいらっしゃるかも知れません。

 正確な時期は覚えていませんが昭和四十年代の出来事です。

「それじゃあ皆さんお元気で」
 と健ちゃん。
「お世話になりました」
 と祐美子さん。
「これ、少ないけどとっといて」
 隣家のオバサンが祐美子さんの手に何かを握らせました。
「オバサン、これは頂けません」
「いいからとっときなさい。これから先、何んがあるか分からんとよ」
「すみません。ありがとうございます」
 泣き顔の祐美子さんが手の中のものを健ちゃんに渡しました。
「ありがとうございます。後で必ずお返しに来ます」
「ダメダメ、此処にはもう二度と戻ってきたら出来んとよ」
 二人は唇をかみ締め、黙って頭を下げました。
「さ、今のうちに早く行った方がいい」
 近所の人たちに声を掛けられ、健ちゃんと祐美子さんは肩を寄せ合い、何度もこちらを振り返りながら急ぎ足で駅へと向かいました。
 二人は夕闇に紛れてすぐに見えなくなりましたが、まだ所々で営業をしている店の前を通る時だけ店の明かりに照らされて後ろ姿が見えました。それは見えるたびに段々と小さくなっていき、やがて見えなくなってしまいました。
 それが健ちゃんと祐美子さんの姿を見た最後です。

 「ケーキ屋」でも、「洗濯屋」でもなく「焼きそば屋」の健ちゃんの話しです。

 乞う御期待!って、本編は何時?

※この話は実際の出来事を元にしていますが、登場する団体、人物名は架空のものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月28日 (金)

期末テストのプレゼント

 ※この記事はクリスマス用に書いていたのですがウッカリ掲載を忘れ、時期外れになってしまいました。時代は昭和40年代。相変わらずの過去譚で恐縮ですm(_ _)m

 期末テスト最終日の朝は、テスト結果を暗示するかのように今にも雪が降ってきそうな灰色の空だった。その日も、迎えに来た親友の大竹と二人でいつもの様に登校した。
 途中で、早朝からジングルベルを賑やかに流しながら走るムサシ屋の宣伝カーと擦れ違った。そうか、もうすぐクリスマスだ。
「ムサシ屋の赤パンツ♪安くて薄くてよく伸びる~♪」
 ジングルベルに合わせて、この土地では知らぬ者が居ない替え歌を歌っていた大竹が突然立ち止まった。
「ムサシ屋はクリスマスっちゃあ毎年毎年馬鹿の一つ覚えでジングルベルしか流さんが、社長は他の曲を知らんのか。お前何か違う曲を教えてやれよ」
「そう言われたって、オレも直ぐには赤鼻のトナカイと聖しこの夜しか思い浮かばんなあ」
「聖しこの夜はいかんぞ。聴いたら、買い物を止めてお祈りしに家に帰りとうなるから、ムサシ屋は商売あがったりタイ」
「そんな馬鹿な事はいいから、急ごうぜ」
「おお、そうタイ。予習タイ」
 いつもは二人ともテスト勉強とは無縁だったが、今回は特別の訳があった。

 三十歳の五十嵐がクラスの担任になった時、まだ独身だった。が、結婚相手が居なかったのではない。女子が言うには「同性としてチョット憧れる」、男子から見ると「美女と野獣の取り合わせ」の国語の石田先生と長期恋愛中なのは公然の秘密だった。本当は二人は5年前に結婚している筈だった。しかし結婚しようとする度に五十嵐のご両親が相次いで亡くなったり、石田先生のお母さんが半身不随で倒れて看護したりして中々結婚する事が出来なかったのだ。
 他クラスの口の悪い連中が、原因は五十嵐の不能らしいとか、石田は五十嵐を捨てて、とっくに別の男と結婚しているらしい、とか真しやかに口にするのを聞く度に躍起になって否定していた。なぜならクラスの皆が、質実剛健を絵に描いたような五十嵐が好きだったからだ。
 その二人が、やっと結婚することになった。五十嵐から式の日取りを聞いた時、女子の中には涙ぐんでいる者も居た。
 その日、久しぶりの放課後会が開かれた。

 新学年になって直ぐの頃、クラスの誰かが他のクラスの生徒にカツあげされて困っているらしいと噂になった事があった。その時、本名は小隈だがクラスで一番身体が大きいので大熊と渾名されている学級委員長の呼びかけで放課後に全員が集まり、噂されている本人から話しを訊いた。最初は中々認めなかったが、それが事実だと判ると、直ぐにカツあげした生徒を教室に呼んで、直談判し二度とやらせない事にした。こんな事が出来たのは、多分この地域では番長格の室田が同じクラスに居たからだろう。それ以来、何か問題事があった時は放課後にクラスの全員が集まり、それを放課後会と称して話し合いで決めていた。

 今回は問題事ではなく、クラスで何か結婚祝いをあげてはどうか?という話し合いだ。
 当然、全員一致で賛成。だが、それを何にするかで男子と女子の意見は真っ二つに分かれた。
 男子は、「五十嵐はコーヒー好きなので、皆で少しずつお金を出し合ってペアのコーヒーカップを買い、それに寄せ書きを添えて渡す」という大熊の意見に、全員が賛成した。
 それに対し女子は、様々な苦難を乗り越え、ようやく結ばれた二人に、軽々しくお金で買ったモノをあげるなんて絶対にダメだと言い張った。女子にとって二人はメロドラマの主人公に見えているらしい。簡単に手に入るモノではなく自分たちで努力して手に入れたモノをあげたいと言う。単にお金を出したくないからじゃないのかと男子が揶揄し、努力して手に入るものって何だ?と聞いても、先生が本当に喜んでくれるモノというだけで具体的な答えが出ない。
 その時、それまで話しに加わらず離れて座っていた室田がポツンと言った。
「先生が一番喜ぶ事は生徒の成績が上がる事だろう」
 今はそんな話しをしているのではないと皆がブーイングをあげる中、「それよ!」と井上の声がした。
 自慢じゃないが、我がクラスの試験成績はいつも、10クラスある学年中で下位を維持していた。
「だから学期末試験でトップを取り、それをお祝いとしてあげる」
 井上はとんでも無い事を言い出した。
 うちのクラスが学年トップを取るなんて、クラス全員が死ぬほど努力しても無理だろう。
「だからやるのよ!だから意味があるのよ!」
 井上を始めとして、女子の目がキラキラと輝いている。
 まさかと思った男子も井上の話を聞いている内に段々目が輝きだし、あれよあれよという間に、トップの成績がお祝いと決まってしまった。
 流れとは恐ろしいモノで、戦争が始まる時もきっとこんな感じなんだろうなと、その時ぼんやりと思った。
「よし、そうと決まったら計画を立てるぞ。特に担当科目の英語と国語は満点を目指す!」
 大熊までもが、己の意見を忘れ無茶苦茶な事を言い出した。
 早速、クラス全員を成績順にグループ分けし、得意科目を持つ者がそれを不得意とする者に教える方法で、今日から休憩時間や放課後に勉強することになった。試験が終わるまでクラブ活動も休みだった。
 最初は嫌々だったが、始めてみると憧れていたひとから数学を優しく教えて貰えたりして、実は案外と楽しかった。勉強が楽しいと思ったのはこの時だけだった。
 クラスは活気に満ちていた。

 その期末テストも今日で終わる。最終科目は国語だ。全員の顔に緊張感が漂っている。
 始業ベルが鳴ると同時に
「よっしゃ、最後じゃけん気合い入れていくぞ!」
 大熊が声を掛けた。
 皆無言で頷き、それに応える。全科目高得点は到底無理だが、この科目と英語だけは絶対に高得点を取るとクラス全員で誓った。
  緊張感が更に高まり、教室内は水を打った様に静まりかえった。

 だが、教室に入ってきたのは担任の五十嵐だった。試験の時に担任が自分の教室を見る事など今まで一度もなかった。
「なんで?」「どうして?」
 教室内が俄に騒ついた。
 騒ついた理由はもう一つあった。五十嵐は試験問題と一緒にスーツケースの様なモノを重そうに提げてた。
「あれは何?」
 副委員長の井上さつきが隣の席から訊いてきた。

Sony01   Sony02

 五十嵐が提げていたのは、ソニーのTC-777
 通称スリーセブンと称ばれたオープンリールのテープレコーダーだ。
 この学校には過ぎたる備品だが、価値を知らない馬鹿どもが体育祭や文化祭で乱暴に扱うので、アルミダイキャストのカバーは傷だらけになっていた。五十嵐はそれを教員机の上に、いやー重かったと言いながら置いた。
「それ、試験に使うんですか?」
 誰かが訊いた。
 五十嵐はニヤリと笑い
「いや。これは……まあ、後のお楽しみだ。さあ問題を配れ」
 最後のテストが始まった。 

 いつもなら最後の最後まで粘って答案を書き、それでも未だ書き終わらない者が半数以上居るのに、正解しているかは別にして、今回の期末テストではどの科目も全員が終了時間前に答案を記入し終えてた。最後の国語も終了までに15分を残して全員が書き終えた。回答欄に未記入は無い。
「ほう、驚いたな。全員書き終わったのか」
 言葉とは裏腹に五十嵐は驚いた樣子もなく嬉しそうに笑った。
「頑張った甲斐はあったという事だな」

 頑張った理由を知っている口振りだった。

 勉強会は秘密裏にやっているつもりだったのだが、校内でやっているのだから教師に知れない訳がない。勉強している理由も知っていたのかも知れない。

 答案用紙の回収も終わり、ホッとした雰囲気が漂う中、早速答え合わせを始める者もいたが、他の者は皆、テープレコーダーの電源コードとリールをセットし始めた五十嵐を、興味深げに見ていた。
 セットが終わると、五十嵐はゆっくりと全員の顔を見渡した。
「早く終わったから、時間まで寝ててもいいんだが……」
 聞いた途端、室田が机に顔を伏せたので五十嵐は、正直でよろしいと苦笑いした後で改まった顔をしてこう言った。

「よかったら、これを聴いてくれないか。これはね、ご褒美代わりと言っちゃ何だが、頑張った君達への、少し早い私からのクリスマスプレゼントだ」

 やはり知っていたのだ。みんな胸が一杯になって、テープレコーダーを見た。

 全く予期しなかった事に、テープレコーダーから流れてきたのは音楽、それもポピュラー音楽だった。
 当時は、音楽はレコードで聴くものだと誰しもが思っていた。しかし、学校で教師が生徒にポピュラー音楽を聴かせるのは校則に反するのではないか。それもテスト時間中に。みんな驚いてヒソヒソと囁き合った。
 だが、少し鼻にかかった甘い男性ボーカルが始まると、そんな事は忘れて歌声に聴き入った。
 室田も顔を上げている。
 初めて聞く曲に心を奪われた。

 曲が流れる中、英語が担当の五十嵐は黒板にこう書いた。

続きを読む "期末テストのプレゼント"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月19日 (水)

Xmasが近付くと思い出す事

 ネタ切れで、以前別の場所で書いた文章の再掲載です。

小学3年生の時、他県へ引っ越すことになった親友の自宅へ、お別れ会で呼ばれた。
 昔は何か会を開く時の乾杯は、子供はバヤリースのオレンジジュースプラッシーと相場が決まっていたが、この時は「今日はお別れで特別だから」と、親友のお父さんがワインという赤くて綺麗な色の酒をチョットだけコップに注いでくれた。実はそれは純粋なワインではなく甘っ怠い混合ワインの赤玉ポートワインだったのだが、本物のワインを知らない私の頭にはワイン=赤玉ポートワインとインプットされてしまった。余談だが、この赤玉ポートワインはもう売られていないと思っていたら、赤玉スイートワインと名前を変えてまだ売っていた。

ワイン=赤玉ポートワインと思いこんだまま月日は流れ、年頃になり彼女が出来た時に二人だけでクリスマスパーティーをやろうと、彼女の部屋へ呼ばれた。
 ロウソクの灯りの下に料理が並んだテーブルに向かい合って座り、ワインが好きだという彼女のために途中で寄った酒屋で奮発して買ったその店で一番高価だったワインを出した。もちろん赤ワイン。
 大喜びした彼女がワイングラスを取りに台所へ行っている間に瓶の封を切った私は茫然とした。瓶の口はスクリューキャップではなくコルクで栓がしてあった。

 ……抜き方が解らない(^^;)

幸いな事に、台所から戻った彼女の手には洒落たワイングラスとワインオープナーがあった。その形状から使い方を察し、冷や汗をかきながらコルクを抜きグラスにワインを注いで乾杯した。
 一口飲んで私は又しても茫然と、いや愕然とした。
 酸っぱくて全然甘くない
 何と言う事だ、よりによって古くて変質し酸化したワインを買ってきてしまった。
 彼女も飲んで気付いているだろう。こんなモノを彼女に買ってきた自分を呪った。
 これが純粋なワインとの初めての出会いなのだが、それが分かるのはもう少し後だ。
『何よこれ!どうしてこんなモノ買ってきたの!』そう罵られる事を覚悟し、
「ゴメン、変なワインを買ってきた。味がおかしいから飲まないでくれ」と、言うと彼女は怪訝そうな顔で、
「どうして?すごく美味しいよこのワイン」そう言いながらワイングラスを空にし、にこやかな笑顔でもう一杯注いでくれとグラスを私に差しだした。
『なんて優しい子なんだ!』
 無理して全部飲んだ上に、買ってきた私を傷つけないようにともう一杯飲もうとしている。
 涙が出そうになるほど嬉しかった。
 ロウソクの灯りが揺れるなかで微笑む彼女の顔は、まるで天使のように見えた

恋は誤解と錯覚から始まる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月21日 (金)

優しい幽霊4

手紙に書いてあった住所のアパートは直ぐに見つかりました。
 夕食の支度をしているのか台所の窓に明かりが点いています。近づくと、誰か来ているらしく中から楽しそうな笑い声が聞こえてきました。
 出直そうかと思いましたが意を決してチャイムを鳴らしました。
「いま手が離せないからチョッと出てみて」
 という彼女の声がしました。
 ドアを開けて出てきたのは見知らぬ男でした。一瞬で状況を理解し、来た事を後悔しました。
 このまま黙って帰る訳にもいかず、自分のことを何と説明しようかと迷っていたら
「誰?新聞屋さん?」
 彼女が菜箸を手に笑顔で台所から出てきました。私を見てその笑顔がサッと消えました。
「チョッと火を見てて」
 慌てて男に菜箸を押し付け、玄関の外へ出てきて後ろ手にドアを閉めました。
「今頃どうしたの?何か用事?」
 困惑の表情を浮かべた彼女を見て、貰った手紙の内容も自分の決心も、木っ端微塵に吹き飛びました。
 何を言えばいいのか直ぐに言葉が出てきません。
「いや、あした東京に行くからその前にチョッと挨拶だけでもと」
 これ以外に言う言葉が思い浮かびません。
「東京ってお兄さんの所?」
「うん」
 次の言葉が出てこず、そこで会話は止まりました。彼女はしきりと振り返り部屋の中を気にしています。
「じゃあ元気で」
「あなたもね」
 交わした言葉はそれだけです。
 彼女は直ぐに部屋へ戻りました。中から
「誰なの?」
「うん、チョッと知ってる人。……え?違うわよぉ」
 そんな会話が聞こえてきます。
 振り返らずに彼女のアパートを後にしました。
 心の中は空っぽになったのに、どうしてこんな重いのだろう。
 
 薄暗くなった夜道を帰る途中ずっと自分の馬鹿さ加減を笑いました。
 手紙に書いてあった事は全部社交辞令なのだ。それを真に受けてノコノコと来られたのでは、さぞや彼女も迷惑だっただろう。それとも事情を話し、未練たらしい男だと2人で笑っているのだろうか。

 途中で寄った酒屋でオバチャンに元気がないねと言われたのですが、何と返事をしたのか覚えていません。買ったビールがやけに重く感じました。

 会社に帰り着いた時には、辺りはもう真っ暗になっていました。門の鍵を開け、重い足取りで事務所脇の暗がりを抜けて女子寮前の中庭まで来た時、思わず立ち止まりました。

 私の部屋に明かりがついているのです。

 どうして明かりが……。今までこんな事は一度もなかったので、驚く前に不思議な感じがしました。
 暗い中で見たので、それは眩しいほどに明るく、まるで誰かが私の帰りを待ってくれているように見えました。

 急ぎ足で2階へ上がりドアを開けましたが、部屋には誰も居ません。だけど明るい部屋へ入った時、涙が出そうになりました。部屋の明かりをこんなに温かく感じたことはありません。
 誰が明かりを……。
 その時、天井からピシッと音がしました。少しあって今度は目の前の床がミシッと音を立てました。いつものあの音です。まさか……。でも、この時だけは幽霊を信じてもいいと思いました。この部屋には優しい幽霊がいる。
「電気を点けてくれてありがとう。居るんだったら遠慮しないで出てこないか?飲みながらでよかったら話しを聞いてあげるよ」
 口に出して言った後で苦笑しました。話しを聞いて欲しいのは私の方だ。
 でも、当然の如く何も出てきません。
 1人でビールを飲んでいる内に、やはり会いに行って良かったのだと思いました。もうこれで心残りはありませんから。

 翌日、Sさんに見送られて、私は新幹線で東京へ向かいました。


蛇足です。
 さて、幽霊話とは言っても、私は元より他の社員も誰1人として実際に幽霊を見た人は居ません。明かりの事は、私が言うように接触不良の偶然なのか、皆が言うように幽霊なのか、それは判りません。でもどちらでもいいのです。あの時、部屋の明かりを見て心が癒やされたのは事実ですから。今思うと、私の心のどこかに幽霊でもいいから誰かそばに居て欲しいという思いが有ったのですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月16日 (日)

優しい幽霊2

そこには見知らぬ爺サンとオッサンが立っていました。
 普通だったら、知らない人がいたらビックリしなければいけない状況ですが、来るのは社員だと思いこんでいた私は、
『何でこの爺様が脅かしに来たんだぁ?』
 こんな馬鹿な疑問を頭に浮かべながら見ているとオッサンが、
「あんた、誰?こんな所で何してる!」
 何してるって、脅かされるのを待っていると言っても分かってくれないだろうし、それに爺サン達が誰なのかこっちが訊きたい。

 話しを聞くと爺サンはここの大家さん、つまりはこの紡績工場の持ち主でした。たまたま近所に用事があって車で前を通ったら、誰も居ないはずの女子寮に明かりが点いているので不審に思い見に来たが、1人では不安なので一旦家に戻って、寝ていた息子さんを起こして一緒に来たのだと言います。一緒にいる息子だというオッサンは、私の所為で寝ていた所をたたき起こされ、もの凄く不機嫌な顔をしていました。そう言えば、そろそろ日付が替わる時刻です。

 何も知らない大家さんに、ココに泊まっている事情を説明すると、
「それにしてもまさかこんな所に寝泊まりする社員の方がいるなんて思いもせなんだですねえ。いやあ、ビックリした」
 言葉は丁寧でしたが、呆れている事は明白でした。その証拠に、大家さんは帰るまでこの言葉を独り言のように何度も言い続けていました。
「ま、何にしてもこんなトコで寝るのは物騒だから、事務所の仮眠室で寝た方がいいですよ。その為にちゃんとあるんだから」
 不審人物の正体がわかってホッとした息子さんは相変わらず不機嫌そうな顔でそう言うのですが、仮眠室は物置と化していて足の踏み場もありません。それに何が物騒なのかもチョッとわかりません。1人でいるからと言っても、まさかこんな所へ泥棒が入ってくる事もないだろに。
 取りあえず、この場はわかりましたと返事をして2人を門まで送り、わざわざ見に来て貰い迷惑を掛けた事を詫びて寮の前まで戻ってくると、

 また部屋の明かりが消えている……。
 そればかりでなく、さっき降りてくる時に点けた外階段の非常灯も消え、女子寮は真っ暗になっています。
 さすがにこの時はゾッとしました。

続きを読む "優しい幽霊2"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月 2日 (日)

優しい幽霊1

今から20年ほど前の事です。ある事情でそれまで勤めていた会社を辞め、東京に住む兄の元で居候することになりました。会社の主業務は服地の販売でしたが、それとは別に中華料理店をチェーン展開していて、私は大手スーパーにテナントとして入っていた店舗で仕事をしていました。

 家賃が勿体ないので東京に荷物を送った時に、住んでいたアパートの契約も解除し、2週間後に東京へ行くまでの間は会社の事務所に泊まる事にしました。
 会社は、拡張した服地販売部門の業績が急激に伸びて社員も増えたので、今まで借りていた倉庫兼作業場が手狭になり、数ヶ月前に店の近くにある大きな紡績工場跡をソックリ借りて新社屋にしていました。最初は事務所のソファーで寝るつもりでしたが、お客さんが来た時にそれではマズイという事で無人になった女子寮があったのでそこで寝泊まりする事にしました。

 古い木造2階建ての女子寮は事務所裏の奥まった所に、今にも崩れそうに建っていました。全部で20ある部屋は長らく無人だったのでどの部屋も荒れ放題。特に1階は天井も落ちそうで、とても人が住める状態ではありませんでした。2階に上がると日当たりがよい所為か1階ほど荒れてはいないので、事務所に近い西側の部屋にラジカセとバッグ1つだけの荷物を置きました。
 建物の照明器具は全部取り外してあったので、Sさんが事務所から予備の蛍光灯を持ってきて取り付けてくれました。部屋の広さは12畳ほどだったので蛍光灯一つでは隅の方が微昏いのですが、夜になったら寝るだけなので是で充分です。

 その日の夜、服地の仕事をしている先輩社員のMさんや後輩社員のK、Uら数人が部屋へビールと乾き物を持参してくれ、引越祝いと称して飲み会を始めました。
 クーラーなど付いていないので窓を全部開け放ち、窓際には蚊が入ってこないように蚊取り線香を沢山並べてあります。
「しっかし、こんな所に1人でよく寝れますね。怖くないんッスか?」
「怖いって、何で?」
「いや、何か出そうじゃないですか。夜になると」
「幽霊か?ンなモン居ないって」
「幽霊じゃなくて泥棒とかだったらもっと怖いッスよね」
「盗られるモノ何もないもん」
「いや、この際贅沢は言いません。幽霊でもイイから出てきてお酌して貰いましょうよ」
「古い建物だから、出て来たらバアさんだったりしてな、オイ」
「それだけは勘弁して欲しいッスねー」
 まだ何も知らない時だったので、そんな冗談を言いながらワイワイガヤガヤと飲んでいました。
 いつしか飲み過ぎてウトウトとしている内に社員達は1人2人と帰っていき、やがて気が付いたら部屋には私1人だけになっていました。
 服地の出荷時は沢山の社員が夜遅くまで仕事をしていて、誰かが工場にいるのですが、普段はその社員達も各地のスーパーやデパートの特設会場へ服地の販売員として同行するので、夜になると静まりかえった工場内にいるのは私だけなのです。

 寝る前に窓を閉めようと窓際に行き、何気なく下を見ると昏い中庭に誰か立っているのが見えました。まだ社員が残っていたのだろうか?と思いながら手を振ると人影はこちらへやって来ます。
「もうビールはねーよー」
 と言ったのが聞こえなかったのか人影は無言で裏へ回り、カンカンと外階段を登ってくる足音が。しかし、誰も部屋に入って来ない。
『あれ、どうしたんだろう?』
 私は部屋を出てみました。微昏い廊下には誰も居ません。そのまま外階段から下へ降りましたが、広い中庭にも人影らしきものは見あたりません。
 変だなと思い、戻ろうと振り返ってハッとしました。

 部屋の明かりが消えて真っ暗になっているのです。

 窓際に並べて置いた蚊取り線香の赤い小さな光だけが微かに見えるだけです。

続きを読む "優しい幽霊1"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月28日 (火)

あいつ

信号待ちをしている私の目の前を鮮やかなブルーのSUBARUインプレッサが駆け抜ける。
 車種は違うが、ブルーのSUBARUを見る度に私はいつもあいつの事を思い出す。
 
あいつは、最初に就職した会社の同期生五人の中で、一番気が合う奴だった。
 あの頃は同じ社員寮に寝起きをし、週末になると同期生みんなで誰かの部屋へ酒を持ち寄り夜明けまで話しをしていた。
 社員の男女比は1対50。圧倒的に女子社員が多かったので、話題は当然の如く女と車だった。だが、まだ彼女が居ない私とあいつは皆の話について行けず、男の優しさとは何か、男らしく生きるとはどういう事か、そんな事を半ば当てつけ気味にヤケクソで話していた。
 自分の車を持つ事は、まだ夢だった。だから車好きのあいつは、月末になるとレンタカーを借りて来て私達をドライブに誘った。あいつのお気に入りは、ブルーのSUBARUレオーネクーペ。夜中に突然思い立って、みんなで馬鹿話をしながら、あてもなく遠くまで走った。ただそれだけで楽しかった。

「最近、無断欠勤が多いのだが…」
 あいつの上司に呼ばれた。
「君は、仲が良いらしいから何か知っているのではないかね?」
「彼女が出来て変わったんです、あいつ」
 彼女とデートの日は翌朝まで帰らず、そのまま仕事にも行かない。
「あー、そう言う事か」
 その一言で上司は全てを納得した。
「私からも言っておくが、君からも注意してやってくれ。このままでは会社にいる事が出来なくなるからね」
 そんな事は言われるまでもない。私だけでなく誰もがこれまで何度も注意した。このままではダメになるぞと。しかし、彼女に夢中のあいつには何も聞こえていなかった。

 別れは突然に訪れた。
 久しぶりに私の部屋を訪ねてきたあいつが、私の名前で1日だけレンタカーを借りて欲しいと言った。
 何故自分で借りないのかと聞いたら、何度も事故を起こしたので貸してくれなくなったと言った。迷惑は掛けないから頼むと言ったが、果たしてどうだか。
 しかし、私はブルーのレオーネクーペ最上級モデルGSRを借りて約束の場所に持って行った。
 そこには、初めて見るあいつの彼女がいた。
 同じ社員だが、女子社員の数は約1000名。入社して2年になるが、まだその半分は顔を見た事がない。

「スミマセン、ご迷惑をおかけします」
 彼女は私に向かって丁寧に頭を下げた。
 是までの経緯から、水商売風のあばずれに違いないという私の想像は外れていた。あいつの彼女は小柄で、田舎から出てきたばかりの様に純朴そうに見えた。
「いえ、いいんです」
 会ったら嫌味の一つでも言ってやろうと思っていたのを忘れていた。

 あいつは、まるで壊れ物を扱うように優しく彼女を助手席に座らせると、そっとドアを閉めた。
「無理言って悪かったな、帰ったらこの埋め合わせはするから」
「しなくてもイイから、事故るなよ」
「すまん」


 だが、あいつは帰ってこなかった。

続きを読む "あいつ"

| | コメント (0) | トラックバック (0)