(2) あいはらりょうこ

登場する人物、団体名は仮名です
同期生、後輩、嫌な先輩の敬称は略してあります

帰らざる日のために/いずみたくシンガーズ(1974)

 半年ほど前、大竹の職場がある紡績科に国産と西ドイツ製の新型紡績機を2台ずつ試験導入する事になった。
 国産機の方はすでに紡績科の保全部で設置工事を始めていたが、西ドイツ機は組み立て説明書から機械に張られた注意書きのシールに至るまで全てがドイツ語表記だったので、工作科に工事依頼が来た。勿論、工作科のオヤジ達がドイツ語を読めるからではない。それどころかオヤジ達は日本語でさえ怪しい。工作科は設置経験が豊富なので、何とか出来るだろうと言う安直な理由からだ。
 依頼を受けた工作科でも、同梱されていたパーツ表がプラモデルの組立図にそっくりだったので、それを見ながらだったらドイツ語は読めなくても「何とかイケるんでねえかい?」と、これまた安直に引き受けた。
 そのベテラン揃いの工事メンバーに、科内で一番若いオレも加えられた。不思議に思い理由を主任に訊くと、名字が水戸だからと言うわけではあるまいが、東野英治郎演じる水戸黄門そっくりの顔と声で、
「そりゃあおめえ、力仕事要員にきまっとる。他の連中はみんな年寄りだでな」とアッサリ言われて『あー、それじゃあキツイ仕事は全部オレって事か』というのがうっかり顔に出てしまった。すると主任は驚くような事を言った。
「あっちじゃ紡績の女の子と一緒に仕事するんだからエエじゃねえか。そんな面する前に、加えてやったオレ様にちったあ感謝しろってんだ」
 主任が言うには、新型機は運転操作が今までの機種とは全く違うので、運転担当者に軽作業を手伝って貰いながら構造から覚えて貰うためらしい。本音は設置完了まで遊ばせておけないからだろうが、開梱して包装を解いたり、機械の付いている錆止めを落としたりと、軽作業とは言えやる事は沢山あるので手伝ってもらえるのは助かる。
 そして、その担当者の一人が相原だと聞いて更に驚いた。
 女の子とは無縁のオレでも「紡績の相原は滅茶キレイだ」という噂は耳にしていた。が、噂が間違っていたとしても、女の子と一緒に仕事が出来るのは素直に嬉しい。
 作業初日、紡績科主任の引き合わせでA/B両番の女の子を紹介された時、名前を聞く前からどの子が相原か分かった。噂は本当だった。
 相原と仕事をすると聞いた同期の連中からは、うまくやれよと冷やかされたが大竹だけは、言うことが違った。
「いい女だからお近づきになりたいと思っても無駄だぞ。あいつ、聞いた話じゃ社外に付き合っとる男がいて派手に遊んでいるそうだ。その男とは相当深い仲らしい。どういう事か言わんでも分かるだろう。それに、顔がイイからチョットお高くとまってるしな。だから相手にされんのは当然としてだ、ま、精々からかわれんように気をつけろや。ウチの女共は男をからかっちゃあ喜んでるヤツばっかりで、質悪くてイカン」と、釘を刺された。
 ところが、一緒に仕事をすると相原は大竹から聞いて抱いていたイメージとはまるで違う女の子だった。無愛想で偏屈な工作科のオヤジ達の誰とでも笑顔で接し、部外者で勝手が分からないオレ達が支障なく仕事が出来るようにと色々と気を配ってくれた。それに、相原が話しているのを聞いていて気付いたのだが、相原がお高く止まっていると大竹が感じるのは、タメ口を利く他の女の子達と違って敬語を使うからで、逆にこれが昔気質なオヤジ連中にはウケがよかった。
 しかし、これだけ綺麗な女の子だと気後れしてしまい、こっちから話しかけることなど出来なかった。もし話が出来たとしても、女の子と話した経験が無かったから何を話題にすればいいのか分からなかったと思うけど。
 作業の方は大きな部品の組み立てがほぼ終わり、力仕事が減った代わりに小さな部品の組み立てが増えた。オヤジ達はそろって老眼で細かな作業が苦手だからだ。特に操作パネルは細かな部品を知恵の輪のようにして組むので、オレに任された。この作業を相原が手伝ってくれる時は、いつも後ろからピッタリと身体を押し付けて肩越しに覗きこまれるので、背中に感じる相原の胸や腰にだけ意識がいって作業に集中することが出来なかった。ひょっとして「オレ、からかわれてるのかな?」と大竹に訊くと「それは自意識過剰。あいつはお前なんか眼中にないんだから、胸が触れようが尻が触ろうがそんな事は気にもしてないさ。お前は空気と一緒だよ空気と」と片付けられた。
 しかしこれが、思いがけないキッカケになった。
 その日、いつものようにオレの肩越しに操作パネルを覗き込んでいた相原が「アッ!」と声を上げた。
 どうしたのかと振り返ると、いきなりオレの胸元に手を差し込んで、首から提げたペンダントを引っ張り出す。
「これ、私も持ってます」胸のボタンを一つ外して襟元を広げ、自分のペンダントを見せる。
 このペンダントは、某出版社が売り出し中の新人作家が書いたミステリーの数量限定特典で、作中に出てくる古代文字が彫られた石版を模ったミニチュアだ。書店で見た時、洒落たデザインが気に入って迷わず本を購入した。彫られた文字が違うものが数種類あったが、相原のはオレのと同じ文字だった。
「あなたもあの本買ったんですね。読んでみてどうでした? ご感想は」首を傾げ、期待を込めた目をして訊いてくる。
 面白かったとか買ってよかったとか言えば相原の期待に答えられるかも知れない。しかし、そのために嘘をつくのはイヤなので思った通りを正直に言った。
「トリックが斬新なだけで、話は全然面白くなかった。整合性がない場面がいっぱい有って何度も読み返したし、都合のいい偶然は続くし、今までの積み重ねが台無しになってしまうラストを読んだ時は、だったら最初からそれをやれよって言いたくなった。やると話が成立しなくなるからやれないんだけどさ。ペンダントが付いていなかったら、買わなかったな」
 すると相原はうんうんと頷き「それ、私も同じだった。私なんかラスト読んだ時、これじゃ詐欺だからお金返してって思っちゃったもん」
「オレ、ペンダントを買ったオマケで本が付いていたと思ってるから、お金は惜しくはないけど」
 すると、相原がクスッと笑い「そうだね、わたしもそうする。このペンダントは素敵だもの」とペンダントを振ってみせる。
「でも嬉しいな、あの本が面白くないって言ってくれて。私の周りで読んだ人に聞いたらね、皆んな面白いって言うんだよ。どこが面白いのよって言ったら変人扱いされちゃってショックだった」
「面白いかどうかは読んだ人で違うから気にしなくてもいいんじやないかな」
「うん。だからね、あなたも私と同じ変人でよかったって安心したの」
「それって、褒めてくれてるのかな?」そう言うと、また可笑しそうにフフッと笑い「そうだよ」と言った。この時になって相原が敬語を使っていない事に気付いた。
 これがキッカケで本や映画の話をするようになり、好きな本と映画の傾向がお互い重なっていたり、食べ物の好き嫌いも一緒だったりと意外な共通点を知って話が弾んだ。そんな様子を見た大竹が「何だよ、お前らどうなってんだ?」と不思議がるようになった頃に、組み立てが完了して試運転も終わり、オレ達の仕事は終わった。実は、オヤジ達はパーツ表を見ながらアッサリと組み立てたが、完成後に数点の部品が残った。これがどこで使う部品か分からない。しかし「ちゃんと動いてるから気にしなくてもいいんじゃねえか?」という工作科主任の一言でそのままになった。
 紡績科での最終日、相原に「これからは外で会ったら声をかけるから、ちゃんと私の事覚えていてね。挨拶しても、誰だコイツって顔しないでよね。絶対だよ」と言われて「うん」と返事はしたが、その後は一度も顔を会わせていない。

「いや、見た事ないなぁ」
「今まで見なくて幸運だったぞ、これからも見ん方がええ。見たら目がつぶれる」
 奥の小上がりに居る高木さんまでそんな事を言うので、並木という女の子がだんだんと気の毒になってきた。
「あー、クソ! 気になる。女子寮じゃあ相手が誰か分かってるんだろう。おい、誰か今から女子寮まで走って相手が寮の男かどうか訊いて来る奴はおらんか?」
 この中では最年長の春川が冗談とも思えない顔をして言い出す。
 それを聞いて席を立とうとした新入社員の山内を川田さんが手で制した。
「あー、行かんでいい。女子寮がそんな事教えるわけねえだろう。考えんでも分かる事だ。お前もそんな馬鹿な事は一々真に受けなくてもいいんだぞ」
 そう言って、「オヤジ、ビール早くしてくれや」と懲りずに厨房に向かって叫んだ。
「あー、ちくしょう、女とヤッたら気持ちいいんだろうなー。並木とは嫌だけど、オレも誰かとヤリてー」
 と、これは山内と同期の小久保。
「お前となんて向こうが断るわ、並木にも選ぶ権利があるからな」高木さんが茶々を入れる。
「えー、それひどかないっすかー」
「お前の相手してくれるのは志村のおばちゃんくらいだな」
 志村のおばちゃんというのは、寮の掃除に来る五十過ぎの小母さんだ。
「それ、オレの方でお断りっす。オレにも選ぶ権利ありますから」
「もてないヤツに選ぶ権利なんかねーよ」と、これは川田さん。
 久しぶりの「何か面白いこと」に大騒ぎしている皆んなの馬鹿話を聞きながら会館を出ようとしたら、いつの間にか春川の姿が食堂から消えていた。

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