(3) 再会
登場する人物、団体名は仮名です
同期生、後輩、嫌な先輩の敬称は略してあります

ふりむかないで ハニー・ナイツ(1972)

「おい」
 会館からの帰り、寮の廊下で後ろから呼び止められた。
 顔を見なくても声だけで誰かすぐに判った。坂口だ。
 コイツ、エラそうな態度で無理難題を吹っかけ、気に食わなければすぐに殴りつける嫌な先輩だ。
 うわ、ヤな奴に会ったなと内心舌打ちしながら「はい」と振り返る。
「これ、すぐポストに入れてこい」
 渡されたのは、こ汚い字で書かれた何かの応募ハガキ。
「当日消印有効だぞ。今なら間に合うだろう」
 お前馬鹿か? 間に合う訳ないじゃないか、もう八時過ぎだから今日の回収は終わってるよ。
 しかし、そんな事はとても言えないので、「はい」と答えて坂口の視線が届く玄関まではダッシュで行く。
 と、下駄箱の横でさっき会館で別れてきた高木さんが、販売機から牛乳を買って飲んでいる。
 販売機と言っても自販機ではない。冷蔵ケースに入った瓶の牛乳を自分で出して、お金はケースの上の箱に入れる。今のオフィスグリコみたいなものだ。ケースの横には牛乳の紙蓋を開けるピックが紐でぶら下げてある。
「何だ、こんな時間に何処へ行く?」
「坂口、さんの用事」
 手に持ったハガキを振って見せる。
「ご苦労なこっちゃなー、気ぃ付けてな」と高木さんは苦笑いで牛乳瓶を差し上げた。

 先月までは、玄関前に郵便ポストが有ったのだが、何処かの馬鹿が車をぶつけて壊したので、今一番近いポストは五百メートル程先にある工場の裏門まで行かないと無い。どうせ間に合わないのだから、ドブに捨てても同じだが、相手が坂口でも頼まれたことはチャンとやらないと気分が悪い。

 寮の門から真っ直ぐに伸びた道の両脇には、取り壊しを待つ古い木造社宅が三十軒ほど建ち並んでいる。無人なので建物の痛みが激しく、雑草が生え放題なので夜には不気味に見える。

4

 その先は広い空き地になっていて、将来ここに鉄筋コンクリート造五階の社宅が建てられる。
 空き地を抜けて通称「裏門通り」に出ると、いつもなら外出から帰ってきた女子寮の女の子たちがゾロゾロと歩いているのだが、珍しいことに今夜は通りに人影がない。
 ちなみに、工場の正門は来客時しか使用されず、社員の出入りは全て裏門から行う。だから裏門の方が正門より大きい。裏門の向かいにある女子寮の門も普段は閉じられたままで、女の子達は裏門通の下を通る地下道を使って向かいにある工場の裏門から出入りする。だから門限時間のチェックも寮の事務所でなく裏門の守衛だ。

 ハガキを投函して裏門通りを寮へ戻っていると、後ろから来た野太いエキゾーストノートの車がオレを追い越し、男子寮の方へ曲がった。

Camaro_1

 シボレーのカマロだ! 当然、男子寮の車ではない。誰だろう? と後を追うように道を曲がると、カマロは空き地に頭を乗り入れて止まった。

 ドアが開き白いミニスカートを穿いた女の子が車から降りた。女子寮の女の子だろが、どうして裏門で降りずにこんな先まで来たのだろう?
「どうもありがとう」と女の子がドアを閉めると、カマロは短くクラクションを鳴らして走り去った。後に残った女の子がゆっくりと歩き始める。
 スラリと伸びた綺麗な脚に見とれていると、その脚は裏門の方へは行かず、真直ぐこっちに近づいてきて目の前で立ち止まった。

legs

「こんばんは」と声を掛けられた。
 まさか挨拶されるとは思ってもいなかったので驚いて顔を上げる。
「お久しぶり」
 目の前に笑顔の相原が立っていた。
 さっき話題にしたばかりで、まさか会うなんて思いもしなかったので、頭では相原とわかっていてもすぐに挨拶を返せなかった。
「あー、私のこと忘れてたでしょう。ちゃんと覚えていてねって言ったのに、知らん顔して行こうとするんだから」
「ごめん、暗くて分からなかったんだよ」
 それに、脚に見とれて顔を見ていなかった。
「わたし、暗くても直ぐにあなただって分かったわよ」
 態とらしく膨れて見せる相原。カマロから降りた後、迷わずオレの方へ来たから、降りる前からオレだと分かっていたのは本当かも知れない。相原の私服姿は初めて見るが作業服よりも大人っぽく見える。でも、スカートが短すぎて、どうしても眼が脚に行ってしまう。おや? と思ったのは、当時誰もが穿いていたパンストを穿かず生足だった事だ。どこかで脱いできたのか? それが無意識に口に出た。
「デートの帰りか?」
 言ってから馬鹿なことを訊いたと思った。見れば分かる。
「ううん、違うよ。あの人はただのお友達。帰りが遅くなったから送ってもらっただけなの。ホントだから信じてよ」
『派手に遊びまくってる女だから』
 首を振りながら慌てて否定する相原に大竹から聞いた言葉が重なる。
 と、突然「そうだ!」と手を叩いて、相原の顔がパッと明るくなった。
「ね、今度ギョージイーンカイのイーンチョーやるんでしょ?」
「は?」
 前触れなしにいきなり言われて、咄嗟にはそれが「行事委員会の委員長」だと判らなかった。

 「行事委員会」は寮でのイベントを企画、実行する自治組織で、男・女子寮にそれぞれに委員長がいる。だから正式名称は「男女自冶行事委員会」と長い。バス旅行やクリスマス・パーティーといった大きなイベントは男女合同で行う。と言うよリ、弱小な男子寮が独自で行うイベントはない。
 3月の初め、新年度行事委員長依頼で園井が部屋に来た。
「去年ワシがやっとった時から、次はお前と決めとったんや。そのために、会社に推薦して県のレクレーション指導者講習会に行ってもろた。絶対お前しかおらん。だから頼むわ」
 会社が出張扱いで二泊三日の講習会に行かせたのはコイツの差金だったのか。会社の行事でもやらせるつもりなのか思っていた。
 以前からイベントの企画に興味はあったが、依頼に来たのが園井だったので、オレは首を縦に振らなかった。
 園井はそんな事とっくに忘れていたが、新入社員の時オレは園井と同室だった。ある時、出かけようとした園井が、机の引き出しに入れていた金がなくなっていると騒ぎだし、オレに疑いを向けた。
「お前が盗んだんだろう? それ以外に考えられん。誰にでも魔が差すという事はある。それは分かるから、私が盗みましたと正直に言えば怒らん。どうせ後でバレるんだ。今なら無かった事にしてやるから、言うなら今のうちだぞ」
 生まれてこのかた、人様のものに手を出した事など一度もないし、そんな疑いを掛けられた事すらなかった。だから、盗んだと決めつけられた事に腹が立つ前に、ここではオレはそんな人間に見られているのかと、情けなくなった。故郷を遠く離れ、オレを理解してくれている人も、助けてくれる人も誰もいない所に来たことを思い知らされた。
 盗んでいないとキッパリ否定すると、それなら事務所と自治会に報告するが、それでもいいんだなと言い捨て、園井は部屋を出て行った。その後、金は別の所にしまったのを忘れていたと分かったが、疑った事などまるで無かったかのように何の謝罪もなかった。
 その時から、コイツの言う事はどんな事があっても絶対にきかないと心に決めていた。
 アンタが泥棒だと決めつけた男に何を今更と心の中で呟きながら「オレには荷が重すぎて出来ません」と最後まで繰り返した。

 だが、そんな事を相原に言っても仕方がない。

「それなら、頼まれたけど断った」
「えーっ、どおしてえ?」
「委員長なんて柄じゃないし、オレには出来そうもないから」
「そんな事ないと思うんだけど、でもガッカリだなあ」
「委員長はやらないけど、役員はやるよ」
 委員長は高木さんと同室の室岡さんがやることになり、そのおかげで室岡さんに無理やり役員にさせられた高木さんが「いーか、こうなったんはオメーが断ったせいやから、責任とって一緒に役員やれ」と無理やりオレも役員にさせられた。高木さんに言われなくても役員になって協力はする気でいたし、頼みに来たのが園井でなかったら、委員長も引き受けていた。
「エッ本当! ホントに本当? あー、よかった」
 嬉しそうに胸の前で手を合わせた相原を見て、どうしてガッカリしたり喜んだりするのかこの時は訳が分からなかった。訳はもっと後になって分かった。
 女子寮の門限まではまだ少し時間があったが、何時迄もこんな人気もなく薄暗い所で立ち話をしてる訳にもいかない。話が途切れたところで「じゃあな」と声を掛けた。相原も「うん。じゃあまたね」と笑顔で答える。

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