(7) 島村五ェ門
登場する人物、団体名は仮名です
同期生、後輩、嫌な先輩の敬称は略してあります

男の世界/ジェリー・ウォレス(1970)

「ねえ、ねえ、誰? 知り合いなの?」並木に尋ねられた相原が「うん、あのね」と小声で答える。何と言っているのか凄く気になるけれど「うそ、ホントに?」とか「えーっ、どうして?」と言う並木の相槌が聞こえるだけで、相原が何と答えているのか分からない。ポストを離れる時、二人に手を上げて挨拶する。眩しそうな顔で微笑んでいる相原の横で並木が興味津々の顔をしてオレを見ながら頭を軽く下げた。裏門を後にすると背中で相原を痛いほどに感じる。後ろ髪を引かれるって、こういう事なんだと初めて知った。
 だが、空き地を横切って島村さんがこっちへ来るのを見てそんな甘い感傷はすぐに消し飛んだ。
 剣道着を着て竹刀袋を肩に担いでいるから、体育館へ素振りの稽古に行くところだろう。坂口とは違った意味でマズイ時にマズイ人と会ってしまった。
 島村さんは季節工、今で言う期間雇用者だ。農閑期にやって来る出稼ぎ(今や死語?)のオッチャン達も季節工だが、それとは関係なく年間を通して仕事をしていたから、臨時工と言ったほうが正しいかもしれない。そんな人達が男子寮に十人ほど居た。季節工と本工社員との職場以外での付き合いは、全くと言っていいほどなかった。男子寮生は二十代前後、島村さんも二十代だが他のオッチャン達はだいたい五十過ぎだから、共通する話題もない。しかしオレは島村さんや、後述する出稼ぎのオッチャン達と何故か気が合ってよく部屋に上がりこんでいた。そしてこの人達はこの地方で働く季節工間のネットワークのようなものを持っていて、寮生は勿論、会社の上層部でさえ知らない情報を知っていた。
 その島村さんは、テレビアニメの「ルパン三世」に出てくる「石川五ェ門」にそっくりで、最初に見た時アニメの五ェ門は(漫画版は全然似てない)この人がモデルに違いないと思った。但し、口を利かなければ。

「ありゃ? 何なお前、こぎゃん早うから何処行ったつか」ネイティブ九州弁で話しかけられる。オレには分かるけど、これが九州以外の人にはサッパリ通じない。だが、島村さんはそんな事お構い無しだ。だから他の人は島村さんと話す時、話の内容が分からないまま雰囲気で受け答えしている。

「おはようございます。いやチョット裏門のポストに」
 ふーん、と言いながら裏門を見た島村さん、
「あいは相原じゃなかか。一緒におるとは並木か。はーん、彼氏んカマロば待っとるったいね」
 凄い!
「島村さん何でそんなに女の子に詳しいんですか、オレなんか今日初めて並木の顔を知ったのに。相原の彼氏がカマロに乗ってる事まで知ってるなんて感心しちゃうな」
「あん? 何ば言いよっとか、カマロは並木ん彼氏の車たい」
「違いますよ、並木に彼氏が居る訳ないじゃないですか。オレ相原がカマロから降りるの見たから間違いありません」
「違うとはお前の方たい。オイはスラゴツぁ言わん。お前ん言う通りなら、タクシーかい降りたら、そん運転手が彼氏ちゅうこつになるじゃなかか」
 えーっ、それは無理矢理コジツケみたいな気がするけど。
「あんな、お前やゆんべ並木ん妊娠しとるて騒いどったやろ? 相手はそんカマロん彼氏たいね。ばってん、あン子は妊娠しとらん。生理ん遅れとるだけタイ」
「え!?」
「誰いから聞いたか言われんばってん、こらほんなごつ」
 ホントだとしたら驚愕の事実を涼しい顔で言う。だとしたら、並木が診察から帰ってきてすぐに女子寮の誰かから情報を手に入れたのだ。並木にカマロに乗っている彼氏が居るって事も、男子寮では誰も知らないぞ。いや、言っても信じないぞ。
「して、あー誰ぃやったか、春川か、あん彼女は妊娠しとるもんね。じゃけん、田舎から親ん出て来て、どぎゃんすっか相談せらすとさい。多分養子にハマるとじゃなかかな」
 ゲッ! そんな事スラスラと話すけど島村さん、あなたはノストラダムスですか? ところが驚いたことに、春川はこの数カ月後に退社して彼女の実家の家業を継ぐことになった。
 そんなことを話している間に、裏門にカマロが現れ、二人を乗せて走って来た。助手席には並木が、相原は後部座席に座っている。島村さんが言った事は正しいのかもしれない。
 と、走り去るカマロをボンヤリと見ていると、島村さんに後ろから肩を掴まれた。
「あー、今かい体育館で稽古じゃけんお前も付き合え」
 島村さんは、付き合わないか? なんて絶対言わない。
「いや、オレ剣道なんて出来ませんから」
「何もせんでよか。竹刀ば持って立っとるだけでオイが打ち込んでやる」

 やっぱり今朝は最悪だ。ボロボロになって男子寮に帰って来る羽目になった。

「やっぱい朝練は気持ちんよかたいね、何かこう清々しか気分になるやろ?」
 いえ、全然。
 コーヒーば飲ませてやるけん部屋に来い。と言われたが、何時ものように、オイが淹れたコーヒーじゃなくてお前が淹れたコーヒーだった。おかげでコーヒーを淹れるのは随分上手くなった。
「本徳(ほんのり)さあーん、コーヒーば淹れたけん飲みに来んねー」奥に向かって声をかける。淹れたのはオレなんだけど。
 島村さん達季節工が寝起きしているのは旧寮の離れにある三十畳の大広間。襖で三つに仕切られた部屋を六人で使っている。奥の襖が開いて「あ、ごちそうさまです。いつもすみません」と工作科の営繕部門で働いている本徳さんが顔を出す。島村さんが「石川五ェ門」なら本徳さんは少し前にマンダムのCMで有名になった「チャールズ・ブロンソン」だ。似てるではなく瓜ふたつ。チョット想像しにくいけど、チャールズ・ブロンソンが頭を丸めてヒゲを剃ったらこんな顔になるという見本のような人だ。顔がそっくりなので声もちょっと潰れたダミ声でよく似ている。
 純和風の十畳間に置いてある洋風のキッチンテーブル。そこに九州弁の「石川五ェ門」と坊主頭の「チャールズ・ブロンソン」が一緒に座ってコーヒーを飲んでいる。笑っちゃうようなシチュエーションだ。と、その時。
「あ、いかん!」島村さんが突然叫ぶ。
「あいたー、しもたばい。今日は十時に待ち合わせたい」
「もう十時だよ」
 島村さん、慌てて立ち上がり「本徳さん、ちょっと出かけるばってん、ゆっくり飲んどってよ」と縁側のガラス戸を開ける。
 中庭の塀際に島村さんのスバル360が止めてある。剣道着のまま乗り込んでエンジンをかける。が、動かない。
「ありゃ? 動かんばい。どぎゃんしたっちゃろか、ギヤん入らんたい」
 チェンジレバーがスカスカで何の手応えもないから、バックに入ったままギア抜けないと言う。

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