(0) 花の女子寮・オマケの男子寮

登場する人物、団体名は仮名です
同期生、後輩、嫌な先輩の敬称は略してあります

世界の国からこんにちは 三波春夫 (1970)

「あ! せんぱぁあい、いい所で会いましたよ。先輩に話があってズット探してたんっす、まあ聞いて下さいって。オレ、こないだ女子寮の女でスッゲーいいのと知り合ったんですね、そんでその子彼氏いなくて、男子寮の男と付き合いたいって言うんすよ、あチョット待って下さいって、話を最後まで聞いて下さいよ」
 あー畜生、今日は厄日だ。出勤前、男子寮の玄関先で朝っぱらから鬱陶しい奴に会ってしまった。
 コイツは二年後輩の滑川厚。粘着質な性格に加えて同県人というだけでやたらと馴れ馴れしい。その上、頭は悪いが、そこそこに顔がいいので女子寮の女の子にはモテるらしく「オレが声かけて落ちなかった女子寮の女は1人もいない」という自慢話が始まったら、人の迷惑顧みず延々と続く。

 1970年代初頭。中学を卒業するとすぐに某有名紡績会社の愛知県にある工場に就職し、そこの男子寮に住むことになった。早生まれなので15歳になったばかりで、今では死語になった「就職列車」に乗っての「集団就職」だった。
 大きな紡績工場なので、塀を挟んだ隣に建っている女子寮には1000人以上の女の子がいたのに対し、男子寮には期間雇用者も含めて、その10分の1以下の85人しかいなかった。だからモテる奴には天国、モテない奴には……。紡績会社にとっては男子寮なんてオマケのオマケみたいな存在だから、設備の更新といった事は女子寮最優先だった。建物も、鉄筋コンクリート3階建ての女子寮に対し、男子寮は時代劇の長屋と見紛うような瓦葺きの古い木造平屋だ。入社前年に出来た新寮も飯場のような簡易プレハブの2階建てだった。
 このオマケの男子寮には、今では信じられないような規則が有った。
 男子寮には、会費だけ取って何もしない名ばかりの自治会と言う組織があって(後述するが、女子寮の自治組織は全く違う)入寮初日に全役員が揃った自治会室へ新入社員五人が集められ、自治会長から、
「君たちも、栄えある我社の社員になったからには何時までも学生気分で居てもらっては困る。責任ある立派な社会人としての自覚を持って寮生活を送るように」と言われた直ぐその後で、
「男子寮の規則として、君たち新入生は今後一年間は長髪禁止、つまり坊主頭。更に、外出時の私服着用も禁止。外出する時は学生服を着用するように」と言われて唖然とした。たった今『何時までも学生気分で居てもらっては困る』と言ったばかりなのに、新入社員を新入生と呼ぶのはまあいいとして、学ランでなければ男子寮から外へ出られないなんて、それはどう考えてもオカシイだろう。
 続いて、男女交際も一年間禁止、交際をしなくても女の子と馴れ馴れしくするのも厳禁というのは予想通りだ。「先輩に会ったら必ず挨拶をする事」は、人に挨拶をするのは当然の礼儀だから、態々そんな事を言わなければいけないほどココには礼儀知らずな人が多いのだろうかと思った。が、次の規則には耳を疑った。
「これが一番大事な事だが、先輩の命令には絶対服従する事。これはどんな時でも守ってもらう。脅すわけではないが、挨拶をしなかったり命令をきかなかったりしたら理由の如何に因らず殴られる事もある。しかし先輩の鉄拳制裁は男子自治会では容認事項だ」
 つまり、先輩の無茶な命令をきかなくて殴られたら、それはお前が悪いんだから自治会は何も言わないよ。と言う事だ。こんな規則、今なら大問題だ。しかし、今日入寮した新入りが古参の自治会役員達に対して文句を言えるはずもない。気の毒な事に同期入社の大竹は、やっと伸ばした髪を七三に分けていたがその日の内に坊主頭にさせられた。
 後で聞いた話だが、先輩に千円と書いた紙を手渡され、それで買い物に行かされた新入生が、仕方なく自腹で買い物して帰ってきたら、お釣を渡せと言われたらしい。今なら笑い話として聞けるが、当時は笑えなかった。これと似たような事で新入生に対して無理難題を吹っかけて面白がる先輩が多かったのは確かだった。そんな中で、無茶も言わず親身になって面倒を見てくれたのは、高木さんや川田さん、後で同室になる本間さんといった極一部の先輩だけだった。だから同期で顔を合わせる度に、オレ達も後輩が出来たら高木さんたちを見習って無茶な事は言わないようにしよう、とそんな話をしていた。ところが翌年、新入社員が一人も入って来なかった。つまり俺達は2年目なのに新入生扱いのままだった。
  理由は分からないが、寮内では「今は高度経済成長期のまっただ中で、中・高卒の新卒者は金の卵と崇め奉られ、小さな町工場でさえ福利厚生施設を充実させて新卒者確保に躍起になっていた時代だから、例え大企業といえど、こんな寮の規則が有る会社の社員募集には誰も応じないだろう」と噂されていた。実際は、機械化で単純作業が減り、募集基準が高学歴にシフトし始めたからだと思う。
 しかし、その噂話を肯定するかのように、その翌年になって突然、新入生に対する規則が撤廃された。そのお陰だかどうか、新卒者も確保出来て、馬鹿な思いをしたのはオレ達が最後になった。
  だから今では新入生、いや呼び方が変わって新入社員も髪は伸ばし放題。どんな服装で外出しても自由だし、滑川のように入社一年目から女の子漁りをしても先輩に呼びだされて鉄拳制裁を受けることもなくなった。表向きには。

「で、それ聞いた時すぐに先輩の事思い出したんす。先輩ってまだ彼女居ないじゃないっすか、だからその子と付き合って見ませんか? その子見かけによらずオッパイ大きいし、直ぐにさせてくれますから絶対オススメっすよ」
「あのなー、オレはお前と違ってヤレるヤレないで女の子を選んだりはしないんだよ」自慢話ではないのでホッとしたが、コイツが紹介する相手と付き合う気など毛頭ない。
「なーに言っちゃってるんっすか。男なら誰だって女とヤリタイに決まってるじゃないっすかぁ。そんな痩せ我慢してるからいつまで経っても彼女出来ないんっすよ。先輩は女の子と縁がない職場に居るんっすから、俺の親切を無にしないで下さいよぉ」
 なーにが親切だ。どうしてお前がその子の胸が大きいとか直ぐにさせてくれるとか知ってんだよ? うっかり手を出して気に入らなかったから人に押し付けようって魂胆がバレバレじゃないか。それにな、お前に言っても分かるまいが、やせ我慢は男の美学なんだよ。
 とは言うものの、コイツが言う通りオレの職場じゃ女の子と知り合う機会が少ないのは確かだ。
 ほとんどの男子寮生は、選毛から始まり検反に至る生産部門に所属していて、各部門には百人以上の女の子がいる。それに対しオレが所属する工作科は、機械の部品製作や、板金、溶接、建物の修繕から植木の手入れ、果てはドブ浚いまで、社内全ての保全業務を受け持つ言わば町工場と工務店と植木屋が一緒になったような所なので、科内にいるのは職人気質の気難しいオヤジばかり。女性はオバサン事務員と今年入社した新卒の女の子の二人だけ。入社当初は工作科配属なった己が身の不運を嘆いた。だがこの後で、工作科だったことを神様に感謝する出来事が立て続けに起きるとは、この時は知る由もない。
「それじゃあ先輩、その気になったらいつでも言って下さいね。お先に失礼しまっす」
 いつもはしつこい滑川が自分の方から逃げるように立ち去ったのを不思議に思ったら、廊下の向こうから同期の中原がやってくるのが見えた。
 中原は顔が良くて性格もいい、オマケに背が高くてスポーツ万能と「世の中は不公平」を体現しているヤツで、実際に男子寮で一番モテるのはこの男だ。中原には絶対に敵わない滑川としては顔を合わせたくないのも当然だ。
「今の滑川じゃないか? あいつの事だからどうせまた、どうでもいい女を押し付けてたんだろう。しょうがねえヤツだな。お前もいつまでも独り身だからあんな奴が言い寄ってくるんだよ。付き合いたい女の子とかいないのか」
「いいなーと思う女の子はいるけど彼氏持ちだから付き合えない」
 ここで、その女の子は誰だと訊かないのが中原のイイ所だ。
「だけど、お前来月から行事委員会の役員やるんだろう? なら女子寮に行く機会が増えて環境良くなるじゃんかよ。女の子見つけるチャンスも増えるだろう」
「それがさ、最近気がついたんだよなー、オレ」
「?」
「モテる奴は環境悪くてもモテるけど、モテない奴はどんだけ環境よくてもモテないんだよ。世の中、金は持ってる奴の所に、女の子はモテる奴の所に集るようになっているのさ」
 それを聞いた中原は、お前上手いこと言うなあと、爽やかに笑う。
「大丈夫だよ、お前案外イイ男だから充分モテる奴の範疇だぞ」
 ポンと肩を叩いて行く中原。案外イイ男……か。お前に言われると慰めにしか聞こえないけど。
 おっと、社員食堂で朝飯食う時間が無くなるから早く行かなきゃ。この会社では一ヶ月単位で食事の予約をする。朝食は1食30円でご飯と味噌汁と卵付き。卵は生と茹でが選べる。昼食と夕食は1食50円でおかずは日替わり。オレが好きなのは船場汁と鯖の塩焼きだが滅多に出ない。3食とも、ご飯食べ放題、味噌汁飲み放題、お新香も食べ放題。昼、夕食ではその日のおかずが気に入らない人のために生卵付きのカレーが用意されていて、これもご飯だけお代わり自由。因みに、当時はラーメン一杯80円。コーヒーやタバコのハイライトも80円。ガゾリンが1リッター53円だった。
 さあ、今日も頑張って仕事するぞー。


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