(1) 並木の妊娠

登場する人物、団体名は仮名です
同期生、後輩、嫌な先輩の敬称は略してあります

西暦2525年/ゼーガーとエバンス(1969)

「お前よー、人生が虚しくなった事って無えかー?」
 仕事帰り、寮のトイレで横に並んだ一年先輩の高木さんが仕舞う仕草をしながら出し抜けに言った。
「は? ナンデスカいきなり」
「あのよー、昨日も同じ時間に、お前とココで会ったんだよ」
「あっ、そうですよね」
「そんでな、その前の日も同じ時間に会ったんや。覚えとるか?」
「そう言われれば……そう、ですね。いやー、勤務時間が違うのに凄い偶然ですね」

 この会社の勤務時間帯は
 1)常昼 08:00~16:30
 2)先番 05:00~13:30
 3)後番 13:30~22:00
 4)夜勤 22:00~05:00
 と4パターンあって、2)と3)はA番とB番で一週間交代。オレは常昼勤務で、高木さんはB番だから今週は先番だ。

「それが偶然とちゃうんやて。ワシら、毎日ワンパターンの生活を繰り返しとるやろ? そやからこれは当然の出来事なんや」
「でも、その前は会いませんでしたよ」
「三日も続けば充分や。そんだけで毎日同じ事をやっとると嫌でも気付くやろう。そういう時にな、『あー、こうやって毎日お前と連れションしながらオレの人生は終わるのか』と思うとフッと虚しくなるんや。分かるやろ?」
 分かりません。
「そうか。お前は、まだ若いからな。そのうち嫌でも分かるようになるって」
 そう言われても、高木さんとオレは一歳半しか違わない。
「じゃ、後で会館で会おうぜ。どうせ行くやろ?」
 と言い残し、高木さんはトイレから出て行った。言われてみると、トイレだけでなく会館でも同じ時間に顔を合わせているのに気付いた。

 男子寮に隣接している通称「会館」正式名称「●●株式会社健康保険組合会館」は、新年会、忘年会、歓送迎会などの宴会や、寮生の身内が来社した時の臨時宿泊施設として、健康保険組合が運営する3階建てのビルで、一階の厨房には30席程度の食堂が併設されており、安くて美味い上に支払いにツケが利くので、男子寮生の溜まり場になっていた。
 何時もの様に、夜になって同期生3人と会館へ行くと既に人が一杯で、窓際の小上がりで冷やし中華を食べている高木さんの姿も見えた。会館では冷やし中華はフルシーズンメニューだ。頭を下げて挨拶すると、黙って片手をあげて答えた。
 1つだけ空いていたテーブルに4人で座り、メニューを見ながら何を食おうかと相談していると、入り口のガラスドアが勢いよく開いた。
「おい、お前ら! 聞いて驚くなよ、並木がこれになったぞ!!」
 駆け込んできた一年先輩の川田さんが、腹の前に手で大きな弧を描いて言った。
 川田さん、女子寮の女の子の妊娠なんて珍しくもないから、そんな事では誰も驚きませんって。
 ところが、
「ええーっ!! 嘘だろう!!!」
 オレと高木さん以外の全員が驚愕の声を上げ、食堂内が騒然となった。中には立ち上がっている者までいる。
「川田、お前その与太話どこで仕入れてきた? 並木に限ってそれはないぞ」
 未練たらしく冷し中華のツユを啜っていた高木さんが顔も上げずに訊く。
「馬鹿こけ。さっき女子寮の前で荒木に付き添われてタクシーから降りるのを、この目で見たんやて」
 それを聞いた寮生の間にオーッと響めきが起きる。
 妊娠の疑いがある女の子を産婦人科へ連れて行くのは、荒木という女子寮の年配職員と決まっていたからだ。
「ならホンマや。こら悪かった、済まん」
 川田さんは、オウと答えて高木さんの横に座り「オヤジ、オレにビールくれや」と厨房の奥に向かって叫んだ。奥からは「セルフサービス」と冷たい声が返ってくる。会館では建前上未成年者の飲酒・喫煙は禁止なので注文には応じないが、冷蔵ケースから自分で出して飲むのは黙認されていた。
 暇を持て余している連中ばかりで、やる事と言ったらテレビを見る他に何も無く、『何か面白い事ねーか?』が挨拶代わりの男子寮で、並木の妊娠話は久々の大ヒットだったようで、話が異様に盛り上がる。
「しかし、驚いたな並木が妊娠するなんてよ。相手は誰だ、人間じゃないだろう」
「そりゃあ並木に失礼だぞ、眼をつぶってヤッたんだよ」
「まさか男子寮のヤツじゃねえだろうな」
「それはないだろう。並木に手を出したのがバレたら恥ずかしくて寮には居られないぞ」
 並木がどんな女の子かは、みんなの話を聞いて何となく想像出来たが、まだ本人を見た事がない。
「並木って誰? どんな子だ」横にいる鳴沢に訊いてみた。
 誰かが悪口を言われている時、中原は当人を知っていても教えない。大竹は聞いてもいない余計な事を長々と話しだす。だから鳴沢に訊くのが一番いい。
 鳴沢は一瞬怪訝そうな顔をしたが、
「そっか、お前は工作科だから知らないか。並木は有名だから知ってると思ったけどな」と笑った。何で有名かはもう訊かなくても分かった。
「並木ってのは、労組事務所にいる子だよ」
 労組事務所なら何度か行った事があるから知っている。
「ああ、髪が長くてチョット痩せてる」
「違う、それは川村。あの子は真面目だからそんな事はせん。じゃなくてもう一人いただろう、歩くより転がった方が速そうな体型の子が」
 言われてみれば居たような気もするが顔が思い浮かばない。
「相原のツレだよ。よく一緒に出歩いてるだろう、お前見た事ないか?」
 大竹が横から口を挟む。
 相原と聞いただけで、心臓がドキンと跳ね上がった。
「相原って、あの相原?」
「そうだよ。一緒に仕事したんだから覚えてるだろう」
「そうか、お前相原と一緒に仕事した事があったんだよな」中原も話に加わる。この時中原は、オレが言った「いいなーと思う女の子」が相原だと気付いたはずだが、そんな事はおくびにも出さない。
「そうなんだよ。そんでそん時、どうせ相手にはしてもらえんから相原に変な気は起こすなって教えたんだよ」と、大竹のどうでもいい話が始まる。それを聞き流しながら、その大竹も知らない「そん時」の事を思い浮かべていた。

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