(6) 眠れない夜
登場する人物、団体名は仮名です
同期生、後輩、嫌な先輩の敬称は略してあります

禁じられた恋 森山良子(1969)

 脱走? 驚いて鳴沢を見ると、笑いながら手を横に振っている。
「高木さんは大袈裟なんだよ。あのな、女の子が朝から行方不明になってるんだ。後番なんで出勤時間になるまで分からなくて、それで仕事にも出てないから騒ぎなった」
「その女、生理が止まったからアレじゃないかって同室の子が心配しとったんやて。それがバレるのが怖あて、逃げたんやないかいう話しや」
 と高木さんが続ける。でも女子寮の事なのにどうして男子寮の皆んながここに集まってる訳? 
「オウ、それを聞いたらお前驚くぞ」高木さんが勿体つける。
「別に驚かないよ」
「その女、春川の彼女なんや」
「エーッ!」
「ほれ見い、驚いたやんか」
 そりゃあ驚くでしょう。春川に彼女が、しかも妊娠するような仲の彼女がいたなんて、これで驚かない奴はいないって。
「ほんでな、春川も行方不明なんや。さっき会館を出た後、寮には帰っとらん」
 だから、彼女と示し合わせてどこかに逃げたんじゃないかと、心配してみんな集まって報告を待っていたところだった。
「一番心配なんは二人してコレやられる事ちゃ。前例があるからな」高木さんが手を首に当てる。前例というのは、数年前に女子寮の女の子が自殺を図った事件だ。
「だもんで、今までパトロールの連中が、あちこち探しとったんだわ。ほんで、一番危なそうな社宅には誰も居らなんだて今聞いたばっかなんや」
 成る程、社宅を探していたのはそういう事か。
 あっ、だったら裏木戸の鍵のことを話した方がいいのでは? いや、どうして鍵を調べていたのを知っているのか聞かれたらマズイな、と迷っていたら、
「居た! 見つかったぞ」
 裏門に居た主任が体を揺すりながらドタドタと玄関に駆け込んで来た。
「あーよかった。何処に居たんですか?」
 多田野さんがホッとした顔で訊いても主任は膝に両手をついてハアハアと息を荒らげ直ぐに答えられない。裏門から電話すればいいのに、態々走ってきたのだ。いかにも主任らしい。
「あー苦しい。いやさ、それが……馬鹿にした、話で」
 初め体育館の物置に隠れていたが、怖くなって部屋に戻り布団を被って寝ていたそうだ。部屋の女の子達は出勤した後だったので、誰も気づかなかったという。
「そんな。女子寮の職員は部屋をチェックしなかったんですか?」
「まさか戻るとは思っていなかったから、昼間チェックしたきりだったそうだ」
「全く何て……ま、無事見つかったからいいですけど」
 自宅から呼びだされて、夜中にあちこち探しまわった挙句がコレじゃあ、文句の一つも言いたくなるだろうな。
 となると、春川は女の子の失踪とは関係ない事になる。
「まさか、こっちも部屋で寝てるってこたあねえだろうなあ、あん?」
 主任がそう言ったので、チョット見てきましょうか、と書記の向井さんが部屋に行こうとしたら、ヒョッコリと春川が外から帰って来た。みんなの姿を見てギョッとした顔になる。そりゃあ驚くだろう。オレも驚いたもん。

「あー、春川。チョットいいかな、話があるんだ」
 多田野さんが手招きで呼び寄せ、彼女の事だけどと、小声で話しかけながら「管理人さん部屋を借ります」と声を掛けて管理人室の中に入る。後に続いた主任がドアを閉める間際に「おめえの彼女は大丈夫だろうな、あん?」と振り返って言う。相原の事だ。こんな所で止めてくれよと心臓が跳ね上がる。
「可愛い彼女やさけ、何もしてねえってこたあねえだろう。気をつけろよ」と、ドアを閉める。
「おい、何の話だ?」
 訝しげな顔の同期生と高木さん。
 ああ、畜生。ついさっき迄、相原と二人で社宅に居たと声を大にして言いたい。だけど言えない。
「さあ、何の事やらオレにもサッパリ。誰かと勘違いしてるんじゃないかなあ」
 ここは惚けて白を切り通すことにした。

 春川が帰ってきたのでこの場は解散になり、それぞれ部屋へ帰って行く。
「あー、馬鹿馬鹿しい。部屋でコーヒーでも飲まんか?」
 同期生らに誘われたが、どうせ春川の話で持ち切りだろうし、もしさっきの話をぶり返されたら、話してしまいたい気持ちを抑えられないので、やんわりと断る。

 さて、部屋に帰って横になってはみたけれど、興奮は冷めず眼が冴えて眠気なんて全く起きない。
 眼を閉じると、社宅での出来事が次々と蘇る。頬にかかる息、手のひらに残った胸の感触……。
 何度も寝返りを打って、眠れぬままに夜が明けた。

 一夜明けた今日が日曜で良かった。

 その良かったはずの朝は最悪な状態で始まった。洗面所で顔を洗って部屋に戻る途中、前からきた坂口とバッタリ会ってしまった。うわ、何か言いたそうな顔をしている。また会うなんて最悪。
「お、いいとこで会ったな。ハガキな、もう一枚あったんだ。今持ってくるから待ってろ」
 えーっ、もう一枚って締め切り過ぎてるんじゃ?
「いやいや、念の為だ」念の為って意味が違うぞ、それ。お前やっぱり馬鹿だろう。
 ハガキを持ってきた坂口が、「頼むぞ」と手を合わせる。坂口に拝まれるなんて、これは断ったらきっと良くないことが起きる。いや、元より断れっこないけど。
 結局、朝早くからまた裏門のポストまで行く羽目になった。昨日はそのお陰で相原に会ったけど今日はそんなことはないだろう。
 寮を出ると、自然に社宅の前で足が止まる。つい数時間前までここに相原と居たなんて嘘みたいだけど、嘘でない証拠に「ね?」と言う相原の声も、頬にかかる甘い吐息もまだ生々しく思い出すことが出来る。当分はここを通る度に思い出すだろうな。

 裏門の近くまで来ると、どこかへ出かけるところらしい女の子が二人、守衛室の前で中の守衛と立ち話をしているのが見えた。
 その一人が驚いたようにこっちを見て小さく頭を下げる。
「嘘だろう」
 思わず声が出た。
 相原だ。
 こんなに早くまた会えるなんて、これじゃあ赤い糸とかウッカリ信じてしまいそうだ。
 そして、相原の横に居るのは『全部丸で出来てる縦と横が同じ体型』の女の子。聞いた時は半分冗談と思っていたが鳴沢の言ったことは本当だった。この子が妊娠した並木映子に違いない。ジロジロと顔を見るのは悪い気がして、軽く手を上げて相原に挨拶した後で直ぐポストに向かった。

「ちょっと待ってて」と並木に声を掛けた相原が、小走りでポストまでやってくる。
 おはよう、と挨拶した後でサッとオレの耳元に顔を寄せ「昨日はありがとう」と囁いた。
「あ、いや、おはよう」
「聞いた? 昨日のあれ」
「うん、ちょっとビックリだな」
 そうだよね、と頷いてから人の顔を覗き込んで「昨日は眠れた?」と真顔で訊く。
「あんまり」
「わたしも、あれから全然眠れなくて。今頃になって眠くなって来ちゃった」
 そう言う相原は全然眠そうな顔には見えない。
「だからこんなに早く出かけるのイヤだったけど、でも出かけることにして良かった。何だか、また会えそうな気がしてたの、当たっちゃった」嬉しそうに笑って見せ、並木の所へ戻って行く。風に乗って相原の甘酸っぱい汗の匂いがした。昨日の夜と同じその匂いにドキドキしてしまう。そんな嬉しそうな顔をされたら、心の中を相原が占める割合がまた増えてしまう。

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